地元を代表する会社の御曹司が亡くなった。勤務中の交通事故死だった。
10年ほど他の会社で働いていたが、社長である父親の熱心な説得により、将来の後継者として父親の会社に転職した矢先の不幸だった。
元々の大地主だが、潤沢な資金を武器に、現在の社長が一代で作り上げた会社だが、15年ほど前、長男を10万人にひとりの難病で亡くしているだけに、ようやく現実味を帯びてきた後継者の死に社長の落胆は大変なものだった。
当然ながら葬儀は、社を挙げての、大掛かりな社葬となった。
四桁からの会葬者の葬儀はそうそう担当するものではない。
怒涛のような葬儀の時間が過ぎ去った後に残ったのは、もはや重力に抗うことのできなくなった心身だけだった。
数日後、葬儀代金の集金に訪れた。
ヨーロッパの宮殿のような豪邸の応接間で、いかにも高そうな「お紅茶」をご馳走になりながら、暫し社長の話し相手をつとめる。
何度来ても豪奢な邸宅だ。
しきりにそう褒める私に、力ない笑いを浮かべながら社長が呟く。
体験した者だからこその言葉が、心に重くのしかかる。
何不自由なく育ってきても、死だけはどうにもならない。
死神の前では人はあまりにも無力だ。
だからこそ人の命は何よりも重い。
男も女も、老いも若きも、金持ちも貧乏人も・・・
死はいつも平等だ。
いつ何時、自らの背後でほほ笑むとも限らない。
だがせめて順番は飛ばさないでほしい。少なくとも親より先には。。。
祈ったところでどうにかなるものでもないとは知りつつも、そう願わずにはいられなかった。