【子供を亡くした母親の憂い】
それはやけにサバサバとした喪主だった。
息子が亡くなったというのに、ご遺体を引取りに病院に伺った時から、涙一滴どころか悲しい素振りすら微塵も感じさせない。
案の定、葬儀などは一切挙げず、最短での火葬を希望した。
位牌も遺影も、お棺に入れる花さえ要らないと言う。
葬儀を挙げなくとも、僧侶を呼んでお釜の前でほんの少しだけ読経してもらう遺族も少なくないが、もちろんそんなものは必要ないと言い張った。
火葬の後は、その足で合同墓に葬るという。
夫とは離婚していたが多少の親戚や友人はいた。にも関わらず彼女は火葬場にひとりで現れた。
「わざわざ他の人に時間を使わせることもない」
それが彼女の言い分だった。
霊柩車から棺を下ろし、火葬炉を歩む間も、決して悲しい素振りなど見せなかった。
30年も自分の息子として生きてきたというのに。
なんて母親だ・・・
私がそう想ったのもの無理からぬことかも知れない。
炉に収める前に棺の蓋を開け、最後のお別れの時間を作ったが、その対面も実にあっさりとしたものだった。
私が棺の蓋を開け、後ろの下がって一息ついたかつかないうちに、
「終わりました」
そんな声が飛んできた。
私は悲しい気持ちのまま、棺の前に出る。
しかし彼女の気持ちがどうであれ、私は手を抜く気など毛頭ない。
これでも少しの期間、僧侶に弟子入りした身だ。
棺の蓋を閉めようとする火葬場のスタッフを手で制して、親子にまつわる短い法話をひとつ。
それから最後の締めの言葉を述べる。
「お母様のお心の内にも、様々な思い出、そしてなかなか口にできなかった感謝のお気持ちが、本当はお有りのことと存じます。最後はその思いの丈を両手にお込め頂き、合掌を頂きたいと思います。故人様の永久なる旅路、安らかでありますようにとお念じいただきまして、合掌でございます」
共に合掌。
暫く時が流れたその時だった。
「今までありがとう。私の子供に生まれてくれて、本当にありがとう・・・」
今にも消え入りそうな母親のが聞こえた。
私は驚いて目を開けた。
私が見ていることには気が付きもせず、彼女は泣いていた。
その涙は紛れもなく、息子を想う母親の「泪」だった。
悲しみにじっと耐えることが美徳とされる日本。
彼女も古い人間だ。
誰にも見せまいと、ずっと悲しみを押し殺してきたのだろう。
はっ!と気付いたように彼女は突然目を開けた。
そして、急いで涙をぬぐうと、
「お釜に収めてください。」
と、素っ気なく言い放った。
もう、初めて会った頃の彼女に戻っていた。
その後は、至って淡々と振る舞い、二度と悲しい姿を見せることなく、遺骨を抱いてひとり彼女は帰っていった。
しかし、彼女の流した一筋の涙は、私の心を強く打った。
キラキラと光るその涙を、私は一生忘れることはないだろう。
現在においても尚、悲しみを押し殺すことが日本人の美徳という人も多いだろう。
だが私はそうは思わない。
人は悲しみを吐き出すことで、また前を向いて歩いて行ける。
だからこそほんの少しでも悲しみを吐き出させてやることが、葬儀屋の大切な役目だと信じて疑わない。
「(今日の仕事は)まあまあかな・・・」
ふと、自分に向かってそんな言葉をかけてみる。
別にそんなに大した仕事はしてないけど・・・
(ありがとう・・・)
故人の言葉とともに、一陣の風が通り過ぎたような気がした。。。
故人様に心よりの哀悼の意を示してm(_ _)m
【大切な人と死別した貴方へ】悲しみは分かち合うことで2分の1になる
葬儀屋が語る「大切なこと」 ここ最近、若い人の葬儀を担当させていただくことが多い。 妊娠中の奥さんを残して28歳で事故死 33歳で就寝後に心不全 生後五ヶ月の乳幼児突然死症候群 悲しい葬儀に立ち会う場面が多い。 (Pho[…]