「みんなのお葬式体験談」
葬儀に参列すると否応なしに自分の最期について考えさせられます。
独り身の人間にとっては、厳しい現実を前に少し考えが変わる瞬間なのかもしれませんね。
母の葬儀の時、火葬場で時間待ちの時にしみじみ思ったのですが。 うちの場合、母の兄弟と私が火葬場まで行って、まあ年寄りばかりが待合室のテーブルを囲んでいたわけです。
何気に話などしながら、お茶を飲みつつ待ち時間をつぶしていたのですが、ふと。
テーブルの脇の通路を、遺骨と位牌を抱えた数人の方々が通りかかった時、何気に心に浮かんだのは。 「ここできちんと火葬されて、家族に送られる人はまだ幸せなんだなあ」 と言ったことでした。
しかもその一群の中には、まだ幼いお子さんもいて、つまりはそのご家庭には未来があると言うのがありありと解って、それって今の世の中ではかなり幸せな部類だよな、と思ったわけです。
うちは母親まではこうして送ることも出来ましたが、実際に私はどうなるかと言えば独り者の最後ですので、上手くいっても誰かに面倒をかけるし下手をすれば無縁仏です。
まあ気分的には誰かに面倒書けるより、無縁で終わるほうが私的にはマシなんですが。
そんなことを考えつつ、そのご家族を見送ったのを今でもありありと憶えています。
感想・解説
最近では高齢の親を結婚していない子供が送り出す葬儀や、結婚はしていても子供(個人からすると孫)がいないケースが増えました。
また、故人に子供がいないため、従兄弟や姪っ子が喪主を務めるという葬儀も増えました。
しかし、これはマシな方。
身寄りがなかったり、あっても疎遠になっており最期の面倒は見てもらえない孤独な老人も増えました。
葬儀屋が事務的に火葬する、そんな葬儀をやるせない気持ちになるものです。
普通に結婚してい、子供がいて、少なくない数の孫がいて、さらには大勢のひ孫がいて・・・
そんな喪家を見ると、結婚して家庭を作るだけが幸せではないとはいうものの、何だかホッとしてしまいます。
入れ替わり立ち代り多くのご遺体が運び込まれ、何体ものご遺体を荼毘にふす火葬場は、そうした人間模様が最も感じられる場所。
結婚したくないと思っている方は、是非火葬場に!笑