みんなのお葬式体験談
愛別離苦・・・愛するものと別れる苦しみ
このサイトを訪れてくださった全ての皆様が、大切な人を亡くした経験がお有りでしょう。
大切な人との別れは、常に身を引き裂かれるほど辛いもの。
しかし、お世辞にも天寿を全うしたとは言えない年齢で逝かれた故人を見送る遺族には、ことさら大きな痛みが付きまとうものです。
幼い頃の母の葬儀の記憶が未だに消えずにいます。
幼少期に両親と死に別れたことが、様々なトラウマとなって後々にまで影響することは珍しくはないのでしょうが、私の場合は、ホラー系、特に人間の骨なら本物、作り物に関わらず、すべて目にすることができなくなってしまいました。
そうなるのも当然のことです。
小学校低学年の子が、人間の骨を目の当たりにする羽目になったら、この先永遠に葬儀が恐ろしくなるでしょう。
私の場合は母親だったのでなおさら怖い思いをしました。手遅れになった時に折った千羽鶴が、今も捨てられずに置いてあります。
あの日、葬儀場の岩倉から犬山の火葬場まで行く間、本当につらくて叫んだ記憶も、長い時が経った今でも忘れられません。
それ以降私は火葬場には近寄れなくなりました。
小さいうちに恐ろしい光景を見た私は、ホラー系と人間の骨が大の苦手になり、それは今でも私を苦しめています。
感想・解説
小学校の時、仲の良かったクラスメートの母親が亡くなりました。
その時の記憶は不思議と今でも鮮明に残っています。
しかし、小学生といえば、命のなんたるかなんて、正直分かっていませんでした。
あぁ死んじゃった。可哀想。。。
そんな在り来たりの感情しか、浮かんでこなかったことを覚えています。
しかし、当の本人はどれ程辛かったことか。
投稿者様の文章を読んで、改めて大きな恐怖と闇を感じている次第です。
大切な人の死を抱え、それでもなお我々は生きて行かねばならない。
生きることは苦しみである。
今更ながら釈迦の教えが身にしみる2016年の終わり。。。