【とんでもない葬儀屋の話】
葬儀という精神的に余裕ない非日常だからこそ、得てしてその人の持つ人柄や器の大きさが如実に現れる場でもあります。
あなたは葬儀で本性をあらわにしていませんか?
祖母の葬儀のとき、不謹慎だけど笑ってしまったエピソードがあります。
同居していた祖母は90歳で老衰のために死去しました。そこで父が喪主となり、我が家は初めて葬儀を取り仕切ることとなりました。 喪主一家となると通夜・告別式のときはとても慌ただしく、初めての葬儀に家族皆が疲れていました。
それでも無事に通夜が終わり、翌日、告別式のために葬儀場へ向かいました。親戚が来る前に、まず私たち家族が最後に祖母とお別れを したときのことです。
何と、棺には亡くなった祖母ではなく父の名前が書かれていました。 まずそのことに気が付いたのが私で、思わず「お父さんが死んだことになってるよ」と笑ってしまったのです。
それにつられて母や姉、当事者である 父までもが大爆笑してしまいました。怒る気持ちは全く湧かず、むしろ悲しみに暮れていた中で笑わせてくれたこの一件のおかげで、告別式は良い意味で 肩の力を抜いて祖母を見送ることができました。
なお、この件は私たち家族の胸にしまっておくことにしました。
なぜなら親族の中には、間違いにしても失礼だと怒って葬儀会社にクレームをつける人もいるでしょう。
ですが、せっかくここまで祖母の人柄そのままの和やかな雰囲気で葬儀が進んでいましたので、最期まで笑顔で終わらせたいというのが私たち家族の気持ちでした。
お葬式であんなに家族皆で笑うことなんて、そうそうないことと思いますが、祖母の自宅介護で一時は家族崩壊寸前までいったことを思うと、不謹慎かもしれませんが最期に祖母が家族皆で笑顔になれる思い出を残していってくれたのかもしれない、そう思えるお葬式でした。
感想・解説
棺に貼ってある名前入りの紙を「故柩紙(こきゅうし)」と言いますが、その名前が間違っていたわけですね。
葬儀屋の青ざめた表情が目に浮かびます・・・笑
確かに「やってはいけないミス」です。
基本的にはミスは全てやってはいけないものですが、それでもミスは起きます。そして世の中には許されないミスと、許されるミスがあります。
私はその線引きは実害が出ているか、出ていないか?例え出ていたとしても、常識的なお金の範囲で補填できるのか?ということだと思います。
葬儀というのは非常にナーバスな場です。
ただでさえ心のモヤモヤのはけ口に葬儀屋を使ったり、1のミスを10に広げてわめきたて、これ幸いと高額になりがちな葬儀代を値切ろうとする心の狭い人間をしばしま見かけます。
こうした人間も多い中、怒るどころかむしろ「和ませてくれた」と感謝までしてくれるなんて、まさに神対応という以外の何者でもありませんね!
これも全て亡くなったぼ祖母様の教えの賜物なのでしょうが、素敵なおばあちゃまだったに違いありませんね。
葬儀の合言葉は安心と門出
本来葬儀とは浄土へ旅立つ故人に対して、「我々は大丈夫」だということを伝え、門出を見送るためのもの。
詰まらないミスに対してカリカリしていては、門出に水を差すばかりか、故人も安心して浄土にすら行けません。
ですから葬儀こそほんの少しだけ大らかな気持ちで見送ってあげてください。
付け加えておくなら葬儀で本性が現れ、評判を落とした・・・などという話はよく聞きますし、その逆もしかりです。
大変の時こそ人柄が出るものです。ボロが出ないように日頃から気をつけましょう。
それと余談ですが、葬儀屋も人間です。投稿者様のような方にはさらに一生懸命、そうでない方には・・・
もちろんミスの内容にもよりますが、「怒り」が得策でないことは、葬儀も日常も一緒です。