【日本仏教の斜陽と落日】僧侶がショップ店員になった日

【とんでもない坊さんの話】

葬儀の打ち合わせが終盤に差し掛かった頃、喪主様が恐る恐る切り出す。

会葬者 (5)
喪主
「実は・・・(菩提寺の)住職から、2日間の斎場までの送迎車はハイヤーを手配しろと言われておりまして・・・」

言いたいことはすぐに察しが付いた。

2日間ハイヤーを使えば数万からのお金がかかる。それ程お金に余裕のある家ではないことも分かっている。

会葬者 (5)
喪主
「タクシーじゃ駄目なものですかね?」

タクシーなら片道千円でお釣りが来る距離だ。40代半ばの健康そのものの住職には何の問題もない。

もちろんお寺についての慣習・諸事情・諸々重々承知の上だが、責任は取れませんがと前置きした上で、私はこう答えた。

 
「私ならそうします」

実際、遺族はタクシーを手配した。

葬儀が終わり、集金に訪れた時のこと。喪主様が気まずそうにこう話してくれた。

会葬者 (5)
喪主
「実はあの後、住職からこっぴどく怒られました。ハイヤーだってあれ程言ったのに!って」

はっ!?嫌ー!!!

私は丁重に軽はずみな言動を詫たが、喪主様は逆に恐縮していた。

会葬者 (5)
喪主
「責任は取れないと言われていた。最終的に選んだのはこちらだし、何より私達のことを思って助言してくださったのだから」

しかし、私の怒りが収まらなかった。もちろん住職に対してだ。

数日後に葬儀後の諸々についての相談で、お寺に伺った。

僭越ながら、一言モノ申さずにはいられなかった。

 
「ご住職、この度、タクシーで良いのでは?と助言したのは私です。大変申し訳ありませんでした」
 
「しかし、ひとつだけ。あのご喪家は、お金のことがあるので、なるべく質素に葬儀をやりたいと仰っておりました」
 
「私は直送(火葬のみ)や、1日葬もご提案しましたが、遺族は菩提寺との関係もあるので、きちんとお寺さんを呼んで、2日間お経をあげてもらいたいとのお考えでした」
 
「いつも先祖をご供養していただいているご住職に、(火葬や一日葬)の少ないお布施のみで帰らせるのは申し訳ないとも仰っておりました」
 
「そんな事情もあったので、タクシーの提案をさせていただきました。不愉快な思いをさせてしまったことは、心よりお詫び申し上げますが、ご遺族の気持ちだけは、お伝えさせていただきます」

ご喪家が語っだ部分はダイブ盛ってはいるが、まぁ良いだろう。嘘も方便。仏様も見逃してくれるに違いない。

住職が気まずそうに口を開く。

住職
住職
「いや、まぁ・・・最近タクシーでも礼儀のなってない人間もいるからさ。別にちゃんとしたドライバーなら、全然タクシーでも良いんだけどさ」
 
「そうですよね。我々もタクシーも客商売ですからね。お客様を大切にしないと、離れて行ってしまう時代ですよね」

ジロリと職を見る。

お寺もな!

そんな思いはしっかりと彼の心に届いただろうか。

そう言えば数ヶ月前、80代女性の葬儀で真言宗でも有数の高層が読経をあげてくれた。

通夜の読経が終わったあとの法話での最後の下りが実に感動的だった。

住職
高僧
「最後に皆さん後ろを見てください。そこに立っていらっしゃる葬儀社の人達がいるから、葬儀ができる。立派に故人を送り出してあげることができる」
住職
高僧
「彼らに対する感謝も決して忘れてはいけませんよ。葬儀社との出会いも、仏様が繋いでくださった大切なご縁ですよ」

聞けば精力的に檀家・信徒と交流を持ち、「センセ・センセ(先生)」と、実に良く皆から慕われている住職だった。

古くからの檀家である故人とは何度も旅行にも行ったそうだ。(もちろん普通の旅行)

えらい坊さんほど頭が低い。

しかしながら、多くの僧侶は依然として、その地位にあぐらをかいているだけのように思う。

あぐらをかいて、寝そべっているうちに、お寺と檀家の関係はいつの間にか「先生と生徒」の関係から、「店と客」の関係になってしまった。

多くの檀家が有難味が薄い割には縛りだけがきつい馴染みのお店(お寺)を離れ、より自由度の高いディスカウントストア(霊園や散骨)を選ぶ時代になってしまった。

残念ながらその現実に、多くの僧侶はまだ気付いてすらいない。(いや、見て見ぬふりをしているというのが正解か)

お寺の帰りにNPO法人が運営する霊園のパンプレットを遺族の元に届けた。

 
「菩提寺さんとの付き合いが大変なら、お墓を移すことを考えても良いかも知れませんね」

葬儀屋の口からその様なことを言わなければならない時代なのかと思うと、心底がっかりする。

葬式の時だけお世話になるから、葬式仏教。日本の仏教がそう呼ばれるようになって久しい。

しかし本来【仏の教え】とは、生きている人間がより良く生きるためのヒントに他ならない。

だからこそ釈迦は50年間で8万4千の教えを、自らの足と口で必死に伝えて周ったのだ。

生まれた子供に名前を付けてもらい、悩み迷った時や人世の節目節目で導いてくれる、そして死後は良いところに行けますようにと、この世での最期のお勤めをしていただけるならば、多少の我が儘やお布施の額などここまでの大問題にはならない。

しかし、葬儀の時だけやって来て、我が儘と飛んでもないお布施を押し付ける。

釈迦の教えを伝える僧侶たちがこの体たらくでは、日本における仏教の未来など見えたも同然だというのに、その弟子たる日本の僧侶たちは、いつになったら崇高なる釈迦の精神を思い出すのだろうか。

この仕事を始めてから、僧侶が格別の存在ではなくなってしまったことは、最大の残念事に思えてならない。

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