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死人の詩 -シビトノウタ-

葬儀屋バカ一代の葬式ブログ。誰もが気になる葬儀の話。実際にあったおかしな葬式や失敗談、仏事で役立つ葬儀豆知識など。

日本人の「仏教離れ」の原因は高額な戒名代?かも知れないが、お布施を安くすれば良いという問題でもない...

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時代遅れな高額な戒名代が若者の宗教離れを加速させる?

仏教離れは法外な戒名」との記事が載っていた。

結論から言ってしまえば、これは間違いない事実だろう。だからと言って戒名代を安くしたり、アマゾンで話題の坊さん宅配サービスが普及れば全て解決かと言えばそうでもない。

日本の宗教が抱える多くな問題点とは?

 

日本人の「仏教離れ」の原因は高額な戒名代?かも知れないが、お布施を安くすれば良いという問題でもない...

 

寺社仏閣を維持するのには、非常に多額のお金がいる。お布施が安くなれば、寺を維持できなくなって、益々住職のいない寺が増えるだろう。

 

昔は何かにつけて「寺」が人々の拠り所だった。コミュニティの中心に寺があり、住職がいた。

 

最近の葬儀では高額なお布施を取っているにもかかわらず、法話のひとつもしない住職も多い。

 

人生の「先生/師」としての導師役をしっかり演じるからこそ、周りの人々の気持ちもお布施という実際の行動に結びつくもの。

 

確かに仏教界は自らの行動を本気で省みる時に来ている。

 

日本人の「仏教離れ」、その原因は時代遅れな戒名代?

 

最近ネットで話題となった「日本人の仏教離れが深刻化」というニュース。同記事では、その原因について「地方の衰退」や「地方コミュニティの崩壊」などを挙げていましたが、それが仏教衰退の本当の理由なのでしょうか。

 

A級戦犯として裁かれた東條英機氏を曽祖父に持つ東條英利さんは、自らのメルマガ『東條英利の「日本の見方」』で、問題は仏教界の示す価値観と市場の価値観の乖離だ、と指摘。

 

時代に合わなくなった感のある、莫大な戒名代やお布施などの「暗黙の了解」に疑問を投げかけています。

 

仏教離れの原因 最近ネットのニュースを見ていたら興味深い記事が上がっていた。 『「日本の伝統文化が…」急速に進む仏教離れ、消えゆく寺院に海外から惜しむ声(NewSphere)』という記事だ。

 

読めば、なるほど、近年、日本の仏教が大幅な衰退の危機に瀕しているといい、現在約7万7000ある寺院のうち、25年以内にはその内の約4割にあたる2万7000ヶ所の寺院が閉鎖される危険性があるという。

 

なるほど~。まぁ、危機的な状況という点においては、私が研究している神社も同じようなもので、神社もその数、8万8000社あると言われているのに対して、その代表を務めるはずの宮司の数は1万1000人しかいないと言われている。

 

つまり、計算上では神社は既に一人の宮司が最低8社兼務しないと成り立たないわけで、危機的状況にあるというのはどちらも変わらないと言えるだろう。

 

ただ、神社に関しては、原則、特定の教義性がある訳ではないので、その社地の管理さえできていれば最低限の体裁は維持できなくもないが、お寺の場合は宗教としての教義性がより強いだけにただそこにある存在というわけにもいかない。

 

一応、記事の中ではこの「仏教離れ」の原因に地方の衰退をはじめとした地域コミュニティの崩壊を上げているが、正直なところ、まぁ、この考証は少し浅いように感じる。

 

もちろん、こうした人口減少がまったく関係ないということはないだろうが、そもそも地方衰退による影響は寺院に限った話ではない。

 

農業や漁業といった、いわゆる第一次産業も同じだし、伝統工芸の分野でも等しく後継者不足に喘いでいる。地方の商店街に至っては、大型スーパーの登場もあいまって、いわゆるシャッター商店街化しているところも少なくない。

 

さらに、少子高齢化という現象に目を向ければ、肥大化した教育機関にも警鐘が発せられ、2014年の時点でもう既に約4割の私立大学が定員割れを起こしていると言われている。

 

ある意味、これらは少子高齢化という市場の変化と世代継承の困窮に遠からず原因があるという点はみな同じなのかもしれないが、正直な話、仏教においては少し異なる見方をしている。なぜなら、この老齢化が進む社会こそ、本来、仏教が果たす役割は大きいハズだからだ。

 

言い換えれば、いわゆる葬式仏教やお墓の管理といった人の死生観にもっとも近い立場にいるのがこの仏教であるはずなのに、この時代の流れに反して停滞していくのは、やはり他とは少し違う理由があるのではないかと感じるのだ。

 

それではなぜ、市場が高まる時代のはずなのに仏教離れが進むのか。

 

これは厳しい言い方かもしれないがある意味、当然の結果と言えるのかもしれない。なぜなら、これは仏教が示す価値観と市場の価値観が乖離しているという結果を示すものだからだ無論、私は仏教が嫌いで言っているわけではない。

 

よく、「神社人」をやっていると、たまにお寺の方から「あの人は神社側の人だから」と敬遠されることもある。しかし、私、並びに当家は神道と同じように浄土真宗を信奉している。

 

だから、これは実家での話だが、懇意にお付き合い頂いている住職には、毎年お彼岸やお盆といった決まった時期に、読経をお願いしているし、父が亡くなった時にもきちんと戒名も頂戴している。

 

それは多分私の代に及んでも同じだろう。 ただ単に、「神社・神道」は国学的かつ文化的スタンスからその価値を評価しているのであって、単純にどちらが良いなどということはまったく考えていないのだ。

 

それだけはまずもってご理解頂きたいのだが、逆にそういう声を聞くと、そういうことを言っているからダメなんだと思うことも少なくない(笑)。ただし、これはあくまで少数の声だとは思っているが。

 

ともかく、そんな結果を招く最大の要因は何かと言うとやはり率直なところ、コスト面の問題。これにつきると思っている。

 

以前、イオングループが葬儀サービスに進出して今まで不透明とされてきたお布施の値段をオープン価格で表示をしたところ、仏教界から強い反発を招いたことがあった。

 

今ではその反発を受けてホームページ上での提示を取り下げてはいるが、これはまさに仏教界の実状を問いかける象徴的な出来事とみている。

 

もちろん、仏教界の言う「宗教行為に値段はつけられない」という主張は確かにその通りなのだが、その点は神社も同じである。しかし、同じような不満を神社から聞く事はほとんどない。

 

それではなぜこうも大きい問題になったかというと、その価格が非常に大きいからである。

 

例えば、神社においても「基本収める金額はお気持ちで」ということで、初穂料の金額はあまり明かさない傾向にある。それでも一定の目安を提示していることが多く、金額も数千円からいっても数万円程度に過ぎない。地鎮祭のように神主さんに出張をお願いする場合でも、2~3万円程度が相場で決して高い金額でもないだろう。

 

しかし、これがお寺さんになると大きく一変する。まず前提として金額を明らかにすることはほとんどない。以前、父が亡くなった時に私もお布施や戒名代はどの程度かかるのだろうかとネットでいろいろ調べてみたものだが、実によく分からない(笑)。 宗派によっては価格帯からして全然違うし、個別の寺院でも相応に異なる。

 

しかもその価格の差が激しく、ウチの場合は、浄土真宗という非常に庶民的な宗派なので比較的リーズナブルな方だと聞くが、それでも戒名代には二桁の後半はお支払いした。

 

まぁ、厳密に言えば、私たちの場合は、住職とはそれなりのお付き合いもあったし、非常によくして頂いていたので、それなりの気持ちも添えたというのもある。このため、正直、二桁後半までお支払いする必要はないかもしれないが、それでも二桁万円行くというのは相場観としては確かだろう。

 

しかし、母方の祖父の場合は大きく異なる。まぁ、祖父が地元の地権者ということもあったのかもしれないが、戒名代には莫大な金額が提示された。詳細は割愛したいが、まぁ、父の時と比べると3~4倍、つまり、数百万円単位の戒名代が請求されてきた。

 

しかも、この時は口頭で提示してきた金額で無論、祖父のためと思って、その時は何も言わずに収めさせて頂いたが、正直、この差額が一体何を表すのかはまったく意味が分からない。ちなみに、そこの寺院は曹洞宗となる。

 

坊主丸儲け

 

そんな経験してしまうと、まぁ、「仏教離れも進むよなぁ~」と思ってしまう。これがほんの数万円程度の誤差なら誰も何も感じないが、さすがに数百万円単位の話となると訳が違う。その上でこうした価格を明らかにしようとする動きに対して反発をされると、何か不都合な話でもあるのではないかという勘ぐりたくもなるものだ。

 

実際、ネットの掲示板などをみても、こうした傾向を反映してか、戒名をつけるという習慣さえ終わった方がいいといった過激な主張まで見られる。もし、そうなったら元も子もないだろう。

 

気持ちはあくまで気持ちの上に発生する。もし、それを原則とするならば、気持ちは気持ちとして、別の形で受けた方が何だかすっきりするようにも思える。気持ちと言いながらも、それなりの対価の上に発生するものであるから、却って、その裁量を厳格に求めることにもつながってしまい、それが不信感を招く一因になっているようにも思える。

 

ましてや金額が金額なだけにその理解度はさらに求められるといっていいだろう。この点は時代的な価値観に負う部分も大きいとは言える。

 

最近、伝統文化の中でも同じような声を聞く。100円ショップのような激安ショップでも似たようなものが買えてしまう時代だからこそ、高価なものにはそれなりの理由や価値が求められてしまう。

 

ダイヤモンドのような物質的な希少性に頼るわけでもない、職人の腕の善し悪しという多少の感性を伴う価値だからこそ、その購買には相応の目と知識が求められるのだ。

 

日本の仏教は独自の発展を遂げてきたため、もはや外来宗教という感覚はなく、そこは神道と同じく日本固有の精神性を強く示すものだと私自身も思っている。

 

それだからこそ、そうした商用的価値観に翻弄されるのは至極残念な気がしてならない。 今では「お墓に入らず、散骨でいい」、「家族と同じお墓には入りたくない」、「葬式はあげなくていい」。そういった声が日に日に強くなっている。

 

時代的価値観の変遷と言われればそれまでだが、この記事が指摘している通り、仏教に対する低下率は同じく無宗教支持層が拡大するアメリカと比べても極めて大きいという。

 

であればこそ、なおさら仏教界はこの時代における自らの在り方を真摯に示していく必要があるのではないかと思っている。

 

最近、お坊さんによるバラエティ番組への露出が高まっているが、真摯に人としての在り方、生き方をもっと示してもらいたいと願っている。少なくとも織田無道氏のように煩悩の固まりのような御仁にはご退場頂きたいものである。

 

著者/東條英利

 

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