不謹慎だけど笑ってしまう葬儀の失敗談
とある男性の葬儀。
天気予報は生憎の雨だったが、何とか出棺までは持ってくれた。
喪主を務めた長男から会葬者に向けての御礼の挨拶が終われば、最寄りの火葬場に向けて出棺となる。
掴みはオッケー。
軽いディスりに会場も和んだ次の瞬間、
ザーッ!!!
えー!?まさかこのタイミングで!?
トンデモナイ勢いで、大粒の雨が地面に叩きつける。
遺族、口をあんぐり。
一同苦笑い・・・
思わぬ事態に、喪主様の頭は真っ白。
ドラマみたいな展開に、考えてきた挨拶の内容は遥か彼方にすっ飛び、しどろもどろになる喪主様。
仕方がない。こんな時は私の出番だ。
或いは思わぬハプニングは(俺のことを忘れないでくれよ)という故人様からのメッセージだったのかも知れませんね。
何れにせよ、遺族にとっても、会葬者にとっても、忘れ得ぬ1日になったことは間違いない。
故人様に心よりの哀悼の意を表して
合掌
【とんでもない遺族の話】
とんでもない遺族の話(という程のモノでもありませんが・・・)
3人だけの小さな小さな秘密の話。
とある60代中盤の女性の葬儀。
子供はとっくに独立。定年退職後に、夫婦二人、水入らずで余生を楽しんでいた矢先の急死だった。
妻の生前、2人で出かけて撮った写真をアルバムにして残したい、そんな思いからお遊び程度だがPCも習い始めた。
喪主様(夫)は寂しそうに笑いながら、そう呟いた。
葬儀では妻(故人)との思い出の写真を沢山飾りたい。
残された夫の願い。
ドライアイスの交換で自宅を訪れると、ひとりPCに保存してある思い出の写真を印刷する喪主様の姿があった。
覚えたての機械と格闘する喪主様。
PCとは無縁の生活をしてきた夫が、亡き妻の為にと、一生懸命に彼女との思い出と向き合う。
その寂しくも微笑ましい姿に、こちらの頬も緩む。
だいぶ苦戦している様子だ。
そう言いながら、プリンターから出てきた写真を手に取って見る。
道端に打ち捨てられたボロボロのソファーと、それをついばむ一羽のカラス。
素敵な思い出写真ですね。自然と心が温かくなる。
って、そんな訳あるかー!!!
だろうね!
見るに見かねて声をかける。
喪主様即答。
でしょうね!
それがパソコンですからね!
ここで1曲。
そんなこんなで、喪主さんが写真を指名 → 私が多少の加工とレイアウト → プリントアウト
完全にそんな流れになってしまったのでありました。
まぁ、ご喪家が喜んでくれれば、何でも良いんですけどね。
ちなみに告別式の日の会話が、ちょっとツボりました。
遺族・親族部屋に喪主様を訪ねると、扉の向こうから喪主様と故人のお姉様の話す声が。
おい!
思いの外、故人のお姉様に褒められて、引っ込みがつかなくなってしまったんでしょうね。
部屋から出て来た喪主様の目にうっすらと浮かぶ涙を見て、大半は私が作りました!なんて、誰にも言う気にはなれませんでした。(もちろんそうでなくても、言いませんが)
それは私と喪主様と、天国の奥様だけのヒミツということで。
お姉さまの会話と共に、私の胸にそっとしまっておきますね。
あっ!
さっそくブログで書いちゃった!!!笑
故人様に心よりの哀悼の意を表して
合掌
地域による差も大きく、意外と知らないことの多い伝統的な葬儀式。
近年、都市部を中心に急速な簡素化が進み、益々葬儀に関する諸々が廃れつつある日本ですが、伝統的な葬儀に関する興味深い記事を発見したので、紹介させていただきます。
短い取材時間で書かれた為か、不足部分も散見されますので、その辺りを補いながら解説していきたいと思います。
遺体を火葬する際、故人と縁のあった副葬品はアレコレ棺に入れてあげたいもの。
しかし、火葬場施設の関係上、棺に入れられるものと、入れられないものあります。
その中でも絶対に入れてはいけない物が、爆弾や化学薬品等の危険物を除けば、【カーボンファイバー製品(炭素繊維強化プラスチック)】です。
その存在は時に骸骨の身にマントをまとい、大鎌を持った恐ろしい異型の怪物もって表され、時に手の中の命をいくつしむ、美しくもはかなげな天使として表される。
どちらも同じ「死」を人間が具現化したものだ。
実にこの世で死ほど残酷で、反面優しさに包まれた存在はない。
お釈迦様は29歳の時にこの世の【苦】を憂い、王族の地位を捨てて出家した。
それは人間に課せられた、大いなる苦しみを乗り越える術を見出すための、長い長い旅の始まりに過ぎなかった。。。
火葬場とペースメーカー
こんな質問をいただきました。
火葬の可否
もちろん施設上の理由から無いに越したことはありませんが、そうかと言って、亡くなった後にいちいち取り出して火葬することも出来ません。
安心して、火葬場にお連れしてください。
注意点
上記のとおり、火葬は問題なくしてくれます。
ただし、ひとつだけ絶対に覚えておいてほしい注意事項があります。理由と合わせて頭にい照れおいてください。
以上です。
ペースメーカーの申告は義務付けられているので、葬儀屋に伝えておけば、そこから火葬場に伝わります。これが重要です。
火葬場に伝える理由
なぜならば、ペースメーカーは火葬中に破裂(爆発)することがあるからです。
メーカーによっては、破裂しないとか、状況によって破裂しないなどと言われており、定かではありませんが、ペースメーカーは基本破裂すると思ってください。
爆発犯!?テロと勘違い
私も何度か聞いたことがありますが、結構なボリュームの音量です。
公共の施設(都内は民間も多いですが・・・)で、爆発騒ぎとなれば、一大事です。
「爆発物と見られるものが爆破!現場は現在厳戒態勢の元、テロの可能性も視野に慎重な捜査が進められています!」
なんて事態にはならないでしょうけど、ちょっとした騒ぎになること必至です。
そんな事態を未然に防ぐためなのです。
ビビリ防止
上記の項目にも通じるとことがありますが、本気でビビるんですよ、あれ。
私も何度か不意に食らったことがありますが、何にも知らない状態で、「バーン!!!」ってくると、本気で心臓が止まりそうになります。
結構いい年の火葬場スタッフなんて、そのまま昇天しかねない。
現場スタッフの精神的な安全を保つためなのです。
火葬場スタッフの安全確保
今度は精神的なものではなく、肉体的な安全の方。
火葬の炉には監視窓と、遺体を効率良く焼くために内部をかき回す棒(デレッキ)を差し込む穴が設けられています。
万が一穴から破裂の衝撃で物が飛び出してきて、火夫(遺体を焼く火葬場のスタッフ)に当たったら、一大事です。
前もって分かっていれば、炉の中が落ち着いた頃合いを見計らって、中の状態を確認したり、デレッキを操作することが可能です。
そうして不測の事態を回避可能にする為にも、必ず事前に伝えておきましょう。
火葬場の本音と良心
高温で人間の遺体を焼く炉の内部は、なかなかにして高価でデリケートな作りになっています。
そうした箇所が破裂によって傷つくのは、当然防ぎたいものです。
また、火夫はなるべく骨を綺麗に残してあげたいと、神経を集中して遺体を焼いています。喉仏などはしっかり残してあげると、やっぱり遺族は喜びますからね。
ところが破裂により、骨が大きく破壊されてしまうことがあります。
まぁ、もっとも通常の火葬でも骨は崩れてしまう(特に高齢になればなるほど)ものですので、このあたりは気持ちの問題という面も大きいのですが、こうした理由により火葬場からすれば、ペースメーカーの入った遺体の火葬を避けたいというのが本当のところです。
しかし、最初に書いたとおり、それは出来ません。
そこで、「火葬はするけど、せめて事前に教えてね」というのが、火葬場の本音です。
まとめ
いずれにせよ、遺族は何も心配する必要はありません。
事前にペースメーカーを取り出す必要も、ペースメーカーが入っているからといって、日本国内では官民問わず、火葬を断られることも一切ありません(外国では断られるケースもあるようですが)。
事前に葬儀屋から火葬場に伝わっていれば、後で文句を言われることもありません。
安心して、火葬場にお連れください。
精進落としの本膳(懐石膳)
告別式の後に食べる「精進落としの本膳」
そんな精進落としの料理に関する基礎知識(食べる時の大切な心得・意味・喪主挨拶・席順)等をご紹介します。
葬儀も一段落したから、美味しいもでも食べて皆を労おう♪
いやいや、全然違うから!!!
まぁ良いけどね・・・ってのっけから、すいませんm(_ _)m
忌中と精進料理
気を取り直して本題です。
近しい人が亡くなると、遺族は【忌中】に入ります。
平たく言えば、【喪に服す】ということですが、この期間はいつもよりも控えめで、つつましやかに、ただじっと故人の浄土への往生を願って生活するよう求められます
この間は、食べる物にも厳しい制限が課せられます。その基準をクリアしたのが精進料理です。
精進料理(しょうじんりょうり)とは、仏教の戒律に基づき殺生や煩悩への刺激を避けることを主眼として調理された料理。
進料理では避けるべきと考えられている食材が大きく分けて2つあり、1つは動物性の食材、もう1つは五葷(ごくん)と呼ばれるネギ属などに分類される野菜である
精進料理を一言でいうと、「野菜中心の質素な料理」ということですね。(意外と作る手間はかかるんですがね・・・って料理屋の担当が愚痴ってましたけど泣)
「精進落とし」って何?
強い意志を持ったベジタリアンや、最近はやりのビーガンならいざ知らず、普通の人間がこうしたキリンみたいな料理に長い間耐えることは出来ませんよね。
そこで一定期間が過ぎると、晴れて「解禁!」となる日が来るわけです。
それが四十九日の忌明けです。
それまで精進料理しか箸をつけることが許されなかった遺族が、精進料理を【落とす】、それが精進落としの料理です。
つまり彼らにとってそれ以外の料理が、解禁されたことを意味する料理なんですね。
肉だ!魚だ!ワーイ!ワーイ!
現在の精進料理
しかし、現代人は何かとせっかちでとにかくワガママな人種です。
忌明けなんて、待ってられるか!
って言うんで、現在は告別式終了後に召し上がることが一般的となった精進落としの本膳。
それだけでも昔に比べて、大幅に早い解禁となっているわけですが・・・
通夜振る舞いの料理
いや待てよ・・・そう言えば(葬儀の)打合せの時・・・
寿司、肉、卵・・・
告別式終了どころか、
通夜でいきなり食ってるやんけー!
住職、ガツンと言ってやってくださいよ!
坊主!てめぇコラー、頭出せや!!!
時代の流れと共に変化していくものですから、それはそれで良いのですが、そもそもの意味くらいは覚えておいていただければ幸いです。
ちなみに一昔前の通夜振る舞いと言えば主に煮物や、ちらし寿司、おにぎりなんかを出していました。
言うまでもなく、時間を割いて弔問に来てくださった方々へのおもてなしです。
遺族は弔問客の対応に忙しいので、組合(町会)の女手が総出で作るのが習わしでした。
東京ではほぼなくなりましたが、地方では今でのエプロン姿の女性陣が、忙しそうに弔問客の接待をしているはずです。
料理をいただく心構え
先述の通り、風習や習わしは時代と共に変化するものです。
葬儀も例外ではありませんが、精進落としの料理を召し上がるにあたって、ふたつだけ変わらず心に留め置いておかなければならないことがあります。
さて何でしょう?
料理を用意したのは故人
精進料理は故人様が参列してくれた皆様に、感謝の意を示して用意したお料理だということです。
もちろん実質的にはご遺族が用意するのですが、遺族はこの世での故人の存在が、ご縁が作り出した存在であり、その遺族が故人様の為に用意する葬儀の一切は、故人の遺志であるとも言える訳です。
故人の遺影が優しくそう語りかけていると考えると、料理がまた違った特別な意味合いを持ったものになってくるのではないでしょうか?
故人の心根に触れ、心の中の故人への思いが、より一層深くなる、それが精進落としの本膳なのです。
我々は命をいただいているということ
「近しい人が亡くなる」「葬儀」「生と死」 「忌中」「期明け」「精進料理」「精進落としの料理」「(食べたい物を)食べられる喜び」「食の有り難さ」「食べなければ生きて行けない」・・・
そうしたキーワードを改めて並べてみると、「我々は命をいただいて生きている」という現実が、より深いものとなって見えてくる、あるいは改めて考えさせられる一因になるのではないでしょうか?
ベジタリアンと私も含めてそうでない人間とのバトルや、食にまつわる論争が繰り広げられることの多い昨今ですが、いずれにせよ「他の命の上に成り立つ我が命」、この事実はしっかりと胸に刻む瞬間が、精進落としの席なのです。
故人様の思い出話に花を咲かせながら、美味い料理に舌鼓を打つ。
遺影の中の故人様が、少~しだけ、微笑んでいるように見えるかも知れませんね。
挨拶・席順
その他精進落としの本膳に関する知識をいくつか。
席順・座り順
本来は葬儀は遺族が参列者を労うもの。
通夜振る舞いも含めて、食事の席は遺族が末席となるのですが、南関東では、遺族が一番上座に座るスタイルがほぼ定着しています。
また、その他の席順に関しても、「細かいことは言いっこなし」となっています。
たまに地方から出てきた故人の兄弟などが、
などとごね出したらぶん殴って、遺族は一番上座(位牌・遺影・遺骨に一番近いところ)、それ以外は、お膳のある席にとっとと座らせましょう!
おば様方特有の無意味な席の譲り合いと、いつまでたっても始められない会食に、葬儀屋はいつもイライラしています。
喪主・遺族代表の挨拶
ただでさえ、会葬者は疲れています。ハラが減っています。
人は疲れていたり、ハラが減っているとどうなるか?
そう!イライラします!
難しい話や、長ったらしい話はNGです。下手をすると撃たれます!
あれもこれも語りたい気持ちも分からないでもないですが、ここはひとつ堅苦しくならず、手短に行きましょう!
挨拶の構成と例文
【御礼】
本日は私の父、故○○のために、お集まりいただき、有難うございます。
父も喜んでいると思います。故人に成り代わり御礼申し上げます。
【食事の案内】ささやかではございますが、お食事をご用意させていただきました。
【短いエピソード】父は明るい性格で、みんなで集まってワイワイ食事をするのが大好きな性格でして、よく母に無断で同僚や友人を家に招待しては、大目玉を食らっていました。
【お願いと御礼】
そんな父のために、限られたお時間とはなってしまいますが、父のことをお偲びいただき、お時間の許されます限り、懐かしい思い出話などをお聞かせいただければ幸いです。本日は誠にありがとうございました。
故人を偲んで、是非楽しいご会食を!
それでは、改めまして、
実食!!!
そんな質問をいただきました。
こんな商売をしていると、有り得ない出来事に遭遇することは希にありますが、折角なのでそのうちのひとつを書いてみたいと思います。
もうハプニングと呼んでいいのかどうかすら疑わしい仰天事件なのですが・・・
もう、3-4年ほど昔の話になろうか。
その年の冬、50代後半の男性が意識不明の重体で救急搬送された。
不慮の事故だった。
2ヶ月に及ぶ家族の献身的な看病も虚しく、意識が戻らないまま、医者から下された宣告は、非情なものだった。
私が彼らと最初に出会ったのは、その直後のことだった。
病院からその足で来たという彼らはひどくやつれ、狼狽しているように見えた。
妻が重い口を開く。
少し話をすると、奥さんの表情が徐々にではあるが柔らかくなる。
しかし、奥さんとは裏腹に、隣に座る息子さんの表情は一向に冴える気配がない。
二十代後半だろうか。
この若さでは、突然父親がいなくなるという現実を受け入れられないのも無理はない。
私が逆の立場なら、同じだっただろう。
今にも消え入りそうな声で、息子さんが切り出す。
後ろのソファーに案内してから、奥さんと【万が一】の事態に備えて、打ち合わせに入る。
ある程度話しが煮詰まって来た頃、
ドサッ!
突然後方で大きな物音した。
振り返ると、息子さんがソファーにひっくり返って、白目を向いている。
体は小刻みに痙攣している。
瞬間的にそう思った。
慌てて駆け寄り、とっさに手首に触る。
こんな時は、2時間物の刑事ドラマで得た浅い知識でもってしか行動出来ない。
脈がめちゃくちゃ弱い!
震える手で携帯を取り出し、救急車を呼ぼうとするが、何度も掛け間違えて、なかなか電話がつながらない。
それでもようやく電話をかけ、電話口でがなり立てる。
「救急車!救急車!マ、マ、マジでヤバイんです!すぐ来てください!!!」
上手く口が回らない。
もう自分でも何を言っているのか分からない。
永遠に続くと思われるほど長い時間(実際には10分弱だったようだが)が流れ、けたたましいサイレンとともに救急車が到着し、そしてまた走り去って行った。
呆然と立ち尽くす私たちを残して。。。
それから少しして、会社の電話が鳴る。
電話を取った事務員が、深刻そうに話し込む。
胸騒ぎが止まらない。
はたして悪い予感は的中した。
病院で息子さんの死亡が確認されたとのこと。
不自然死の遺体は病院から所轄の警察署に回され、早ければ翌日には検案が行われることになるだろう。
東京23区の場合、警察での検案で不審な点が見受けられる、あるいは死因が特定されなければ、大塚にある東京都監察医務院に送られ、解剖されることになる。
翌日、担当刑事から呼び出しを受けた遺族と共に、所轄の警察署に向かうことになった。
幸い解剖には回らず、その場での遺体の引き取りが可能だった。
警察には故人の叔父に当たる人物だけで、奥さんがいないのが気になったが、取りあえず浴衣に着替えさせ、遺体を搬送車に乗せる。
車を発進させようとしたその時、私の携帯が鳴る。
事務員からの残酷すぎる電話だった。
嫌な胸騒ぎがして、もう一台お迎えの車をスタンバイさせておいたのだが、どうやら胸騒ぎは事態は現実のものとなってしまったようだ。
病院は警察からほど近い場所にあった。
私の到着から遅れること5分。もう一台の搬送車両も病院に到着する。
沈痛な面持ちの病院関係者の面々に見送られ、親子の遺体を乗せた搬送車は、静かに病院を出発した。
葬儀は2人の合同葬となった。
祭壇中央に棺が2つ仲良く並んでいる。遺影は家族でキャンプに行った時のものだそう。
息子の肩に手を回し、満面の顔でピースをする父と、照れ臭そうにはにかむ息子。
2人の笑顔がキラキラと眩しい。これがもし祭壇ではなく、どこかの家のリビングにでも飾られいれば、どこにでもあるような仲睦まじい親子の写真だ。
「何をするにも一緒で、本当に嫉妬するくらい仲の良い父子だったので、1人で逝くのがよっぽど寂しかったんでしょう。」
遺族親族の御礼の挨拶で奥さんが絞り出す声に、会場全体が再び深い悲しみに包まれる。
心から愛する我が子を連れて逝く親などいるものか。。。
葬儀が終わり、位牌・遺影・遺骨を安置する後段やら、弔電やら、供物やらを届ける。
落ち着いたところで、遺影の写真に目をやりながら、奥さんが旦那さんの最期の様子を話してくれた。
私にはそう答えるのがやっとだった。
しばらくの沈黙の後、奥さんがポツリと呟く。
重すぎるその言葉に、私にはもう返す言葉は残っていなかった。
神仏が存在するのかどうか。それはたぶん誰にも分からない。
あるのは神仏の存在を信じて今日も一身に祈る者、己の信じる神の為に互いに殺し合う者、華やかな芸能界での成功を捨てて、「出家」する者。。。
混沌としたこの三界穢土(【仏教用語】欲望渦巻く汚れた土地、浄土に対するこの世のこと)の人間世界と、そこにこだまする生者の咆哮(叫び声)だけだ。
諸行無常にして、会者定離。
この世は常に移り変わるものであるからにして、出会ったものは必ず別れなければならない。
そして、その日は突然にやってくる。
死の前には年齢も地位も季節も環境も、一切の意味を持たない。
理不尽だど言う人がいる。ひどすぎると嘆く者がいる。
しかし、愛するの者との別れの悲しみを心に抱えながら、それでも我々は前を向いて生きていかねばならないのだ。
【生きることは苦しみ】
そんな釈迦の言葉がふと脳裏をよぎり、そして冬の空へと消えて行った。
「死んだら灰になるだけさと笑っていた・・・」
長渕剛の『ガンジス』に登場する歌詞を持ち出すまでもなく、日本は遺体の火葬が義務付けられています。(『ガンジス』はインドを歌った歌ですが・・・)
そこで、遺族に良く聞かれることを中心に、火葬場のあれこれについて簡単にまとめてみました。