エレベーターの無い巨大な団地の階段を、5階まで一気に登り切る。
葬儀も無事終わり、自宅に位牌・遺影・遺骨を安置する後段やら、弔電やら、供物やらをご喪家の自宅に届けるためだ。
玄関先で息を整え、ふとドアの右上にかかげられた表札に目をやる。
そこには今は亡き、故人の名前が刻まれている。一家の主だったのだがら、当然のことだ。
しかし、もうこの表札の主は、我々の住むこの世界にはいない。
改めて思い返すと、にわかには信じられない気分になるのだが、現に今さっき私が火葬場にお連れし、燃え盛る炎の中、一山の灰と成り果てたではないか。
その証拠にいくらこの家を訪ねようとも、もう故人の笑顔を、肉声を、手の温もりを直に感じることは出来ない。
言うなれば表札に書かれた文字は、ほんの少し前までその人が確かにこの世に存在したという、過去の証明ではあっても、今ここにその人本人がいるという現在の証ではないのだ。
そう考えると、何とも悲しい。何とも…悲しい。
故人にとってみれば、私は一介の葬儀屋にしか過ぎない。むろん生前の「その人」を知っているわけではない。故人については、遺族から聞いた限りの知識しか持ち合わせていない。
しかし、何だろうか・・・
一抹の物悲しさが、心の中を吹き抜けて行ったことだけは確かだ。
ふと昔の記憶が蘇る。
私が小学生の頃、大好きだった祖父が他界した。
別々に暮らしていたが、私が行くといつもとびきりの笑顔で迎えてくれた優しい祖父。
そんな祖父の死を、幼かった私はなかなか現実のものとして、受け入れられずにいた。
心が頑なに祖父の死を受け入れることを拒絶する。
(じいちゃんが死んだなんて嘘だ!!!)
葬儀が終わり、両親に連れられて祖父の家の掃除に出かけた。
いつものように真っ先に車から飛び出す。
「じいちゃん、来たよ!!!」
父が開錠するやいなや、勢いよく引き戸を開けて中に入る。
そうすれば祖父がまたいつもの笑顔で、玄関先に現れる様な気がしたのだ。
しかし、薄気味悪いほどに静まり返った廊下の奥からは、誰の足音も聞こえては来なかった。
悲しみの深さで、無くしたもの存在の大きさを知る。。。
お世辞にもそれほど広い家とは言えない祖父の家が、やけに広く、冷たく、恐ろし程の寂しさが全身を包み込んでいく感覚に、ひとりでに頬を伝う涙が止まらなかったのを覚えている。
どこまでも続くのではないかと錯覚する廊下の奥に、自らの意識が吸い込まれていく様な不思議な感覚が、無くしたモノの偉大さを、人ひとりの存在の大きさを、容赦なく私に突きつける。
(じいちゃんはもういないんだ。。。)
色即是空
色、すなわちこれ空なり。
この世は常にうつろいゆくものだ。
誰もが「この世の常」に抗い、誰もが愛するものとの別れの苦しみから逃れようと、必死にもがく。
しかしこの世で与えられた命は、いつか必ず返さねばならない時が来る。故に出会ったものは必ず別れるという運命からは、誰も逃れることはできない。
会者定離というこの世の理(ことわり)の前では、我々は何とも無力だ。
(遺族は今、あの時の私と同じ感覚にとらわれているのだろうか?)
そんなことをぼんやりと考えていると、ドアの向こうから、残された遺族の心の叫びが聞こえてきた様な気がして、ふと我に帰る。
ドアの前にたたずむ私の横を、身も凍る様な如月の風が吹き抜ける。
この風は残された者たちの悲痛な叫びを、御仏の待つ浄土の世界へと運んで行ってくれるだろうか。。。
(一日も早く、遺族が悲しみの呪縛から解放されますように。。。)
空に向かってそっと手を合わせ、私は静かにドアの向こうへと歩みを進める。
(笑顔で「その人」が出迎えてくれますように・・・)
むろん叶わぬ願いと知りつつも、そう心の中で願いながら・・・
合わせて読みたい!いや、読んでいただきたい!
いやいや、読んでくださいm(_ _)m!
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