大切な人を失ったあなたへ・・・
ひとりの人間には二回の「死が訪れる」という有名な言葉がある。
一度目は我々が通常使っている肉体の死。
二度目は人々の記憶の中から消え去り、誰からも思い出されなくなった時・・・
(Photo by freedesignfile.com)
第一の人生は儚い
100歳を超える高齢者から、二桁にすら乗らない子供まで・・・
言うまでもなく葬儀屋はありとあらゆる年代の葬儀に立ち会う。どの葬儀も悲しいが、やはり若い人の葬儀は会場の空気が重い。
しかし、長い目で見れば100歳まで生きた大往生の人間だろうが、50代半ばで早すぎる死を迎えた人間だろうと、何十億年、何百億年と続く宇宙の歴史の中ではその一生など刹那、一瞬でしかない。
何歳で逝こうが、詰まるところ短い第一の人生は、所詮第二の人生を生きるための種まきの期間でしかない。
人生を二度生きる
「人は二度死ぬ」という言葉に抵抗があるなら、「人は二度生きられる」という言葉に言い換えてはどうだろうか。
どちらにせよ自らの第二の人生をスタートさせるには、共に生きてくれる人達が必要だ。つまりこの世で可能な限り素晴らしいご縁を作ること・・・これが第一の人生で最も必要なこととなる。
そしてあなたの大切な人はこの世であなたに出会った・・・
自分の大切な第二の人生を安心して任せられたあなたに・・・
「こんな時、お母さんだったら、こうするんだろうな~」
「そう言えばおじいちゃん、あんなこと言ってたっけ・・・」
「こんな姿見られたら、生きてたら、お父さん、また真っ赤になって怒るんだろうな~」
「もうクヨクヨするのはやめました。最近、【私の分まで人生楽しみなさい!】って、妻にお尻を叩かれてる気がして・・・」
「私の子も生きていればちょうど君くらいの年齢になるんだよ。残念ながら長くは生きられなかったけど、あなたはあの子の分まで、長生きしてね。」
あなたが故人のことを思い出すたびに、故人の第二の人生はよりいっそう輝きを増していく。
あなたが故人の存在を身近に感じるたびに、故人の第二の人生はよりいっそう確かなものになっていく。
あたなが故人の名前を口にするたびに、故人の第二の人生はよりいっそう豊かなものになっていく。
あなたが故人と関わる何かをするたびに、故人の第二の人生はよりいっそう意味のあるものになっていくということだ。
(Photo by Nathan O’Nions)
我々にとって「仏」というのは、いつも一番近くでじっと見守ってくださる存在だと、仏教は説いている。
あなたが今日も
(あの人なら・・・)
そう心の中でつぶやくたびに、
「おおっ!私の蒔いた第二の人生の種がしっかり育っている!アハハハハハハハ」
きっとあなたの隣で高笑いをしているに違いない。
亡くなった大切な人に会いたければ、いつでも会うことができる。
それが「人は二度死ぬ」、もとい、「人は二度生きることができる」素晴らしさというものだ。
故人は今日も第二の人生を生きている。。。
合わせて読みたい!いや、読んでいただきたい!
いやいや、読んでくださいm(_ _)m!
sougi-soushiki.beauty-box.tokyo