歌舞伎界からまた巨星が去った。
2月21日歌舞伎界の重鎮・坂東三津五郎さんが59歳の若さでこの世を去った。死因はすい臓がん。
坂東三津五郎さん
三津五郎さんと言えば、2012年12月に亡くなった中村勘三郎さんとは、幼馴染で同学年のライバルだった。
血の気の多かった若い頃には、随分バチバチやりあった仲らしいが、年を取るにしたがって、ようやくお互いの存在を認め合い、感謝する心が芽生えたらしい。
二人でいささか敷居の高くなってしまった感の否めない歌舞伎に、少しでも若い世代が興味を持ってくれるようにと、積極的に新しい試みに挑戦し、新たな歌舞伎ファンの獲得に繋げた功績は大きい。
そんな二人だったが、前述の通り2012年に勘三郎さんが死去、続いて13年2月には市川団十郎さんが亡くなった。そして今度は三津五郎さんまで・・・
市川團十郎さん
三津五郎さんと言えば忘れられない思い出がある。
葬儀業界は意外と横の繋がりが深い。大きな葬儀ともなれば、結構お互いに協力し合うことも多い。
僕も様々な有名人の葬儀を手伝ってきたが、勘三郎さんの葬儀もそのひとつだった。
凡人の僕にとって、彼を生で見たのは、後にも先にもその一度だけだが、それは勘三郎さんの葬儀でのことだ。
余談だが自宅に枕花を届けに行った際、各地・各方面から200個近い枕花が届いていた。花を届ける花屋や葬儀屋の車でごった返す自宅前を見て、(流石中村勘三郎!)と心の中で唸った覚えがある。
話を戻そう。
式当日は芸能人誘導係を担当した。やって来る人間を席に案内し、途中で帰る人間を専用の待合まで誘導する。
最初は結構テンションが上がっていたのだが、ただでさえ異常に気を使う現場と役回り。そこにひっきりなしにやってくる大物芸能人と、彼らの偉そうな態度(勿論そうではない人間もいるが・・・)に嫌気がさしていた。
そんな時ふと耳に入って来たのが、坂東三津五郎さんの弔辞だった。
中村勘三郎さん
恥ずかしながら坂東三津五郎という人をそれ程良く知らなかった僕は、それまで殆どその人に注意を払うことをしなかった。
しかし、その人の弔辞は勘三郎さんへの愛で満ち溢れていた。
その純粋な愛は、私の心にも素直に届いた。
勿論仕事中だったし、それ程きちんと覚えているわけではないが、妙に心に響くものがあった。
【君(勘三郎さん)には僕三津五郎さん)がいる。僕には君がいる】
お笹馴染みだというその人は、昔の思い出を語り、ぶつかりあった時代を経て、分かり合える今がある。これからだって時に、また一緒に挑戦していけないのは辛いけど、あなたの分まで頑張る。
そんなことを言っていたように記憶している。
勘三郎さんの死から二年数ヵ月。残念ながらそれ程間を空けずして、この世での三津五郎さんの挑戦も幕を閉じる結果となった。
しかしながら三津五郎さんの魂は、着実に次の世代の人間に引き継がれている。
あの世でまた勘三郎さんと一緒に、歌舞伎を踊っているのだろうか。
故人様に心よりの哀悼の意を表して
合掌