「残り物には福がある」(一番最後に残った物が一番良い物だ)
誰もが知っているこの慣用句。
①残り物をあてがわれた人間を慰める。
②人を押しのけ、人と争うことを避ける遠慮深い人間にこそ、幸運が訪れるものだ。
そいした事柄を伝えたい時に使われる。
然しながら火の無いところに煙は立たず。
過去にこの様な事例が一定以上存在したからこそ、この様な言葉が生まれたのだろう。
そこで少し理論的に考えてみた。
第六感(直感・勘)
人間の勘〔かん〕と言うのはなかなかどうして、バカに出来ない。一見何の根拠もないように見えて、実は違う。
脳が今までの経験や、視覚・聴覚・嗅覚等の五感で感じる、ありとあらゆる情報を瞬時に分析し、正解にたどり着こうとするものらしい。
ところが「最初に選んで良い」、或いは「早いもの順」と言われると、心理的にどうしても焦りが生じるものだ。
一番良い物を選ばなければならない、早く取らなければ、そうした焦りやプレッシャーが分析力・解析力に狂いを生じさせ、結果としてハズレを引くリスクを高めるのだろう。
自己納得
人間は選択肢が多いほど、後からの後悔が多い。本当にこっちで良かったのか?もしかしたら選択を間違えたのではないか?真っ先に選んでおきながら、勝手な自問自答を繰り返す。
最後に選んだ人間が、これしか選択肢がなかったのだから、これで良かったと自分で自分を納得させられるのとは対照的だ。
自問自答を続ける自分を尻目に、自分の選択に納得し、美味しそうにお菓子を食べる姉の姿を見て、「やっはり私もそっちが良かった」とだだをこねる妹の姿は、これによるところが大きのではないだろうか。
ちょい足し
幼稚園児の妹を持つ小学生の姉。親が二人で食べるようにと用意してくれたいくつかのお菓子の中で、自分の好きなものを手に入れる方法を教えてくれた。
隣の芝生は青く見える
大人ならまだしも、子供は自分の感情を抑えることが難しい。
姉が一番先に自分の好きな物を取ったとしよう。
そうするとどうなるか?
人の物が欲しくなるのは大人も子供も同じ。
感情を抑えられない妹は、ほぼ90%の確率で姉の選んだおやつを奪おうとするらしい。そうなれば当然母親から「お姉ちゃんなんだから譲りなさい。」と言われて取り上げられてしまう。結果として自分が好きな物を食べられなくなってしまう。
自分が欲しい物があったとしても、
決して自分から先に取らない!
それが鉄則のようだ。
五分五分の確率だが、自分が最初に選んだ時に比べて、はるかに「残り物には福がある」の確率が上がるらしい。
小学生ながらなかなか奥が深い。
上記の事柄を踏まえると、やはり物事を選択する上での極意とは、
「最後が勝ち(価値)」
ということなのだろう。
お後がよろしいようで。
※あくまでも個人的な見解です。