我々は過去の教訓から多くのことを学ぶ。
しかし、意外にその本当の意味や本質を知らない場合も多い。
そんな事例を二つほど紹介。
目には目を、歯に葉はを-ハンムラビ法典
「目には目を」で男に失明刑執行 4歳児の視力奪った罪で
11月9日イランで8日、4歳の少女の顔に石灰をかけて視力を奪ったとして有罪判決を受けた男に対し、両目を失明させる刑が執行された。イラン学生通信が、司法当局者の話として伝えた。
テヘラン検察当局によると、イランでこのような犯罪に対して科され得る「目には目を」という厳格な同害報復刑が執行されたのは、今年に入ってこれが2回目だという。
シャリア(イスラム法)においては、同害報復の原則が中心的な位置を占めており、国際人権団体による非難を生んでいる。
犯罪被害者は、加害者からの賠償金と引き換えに刑罰を免除することもできる。2011年には、同国で近年相次いでいる酸攻撃事件で失明し顔に重度のやけどを負ったアメネ・バハラミさんが、犯人に同じ苦しみを与えたくないとの理由でこの権利を行使した。
(c)AFP
(ハンムラビ法典が書かれた石棒)
近年、イスラム勢力の台頭でにわかに注目を集めている「目には目を、歯には歯を」でお馴染みのハンムラビ法典。
日本でも特に若い人を狙った悲惨な事件が起こる度に「犯人にも同じ目を!」と、真っ先に担ぎ出される同法典。
しかし実際は「同じ目に合わせてやる!」という強い報復行動を目的にしたものではなく、被害者側による行き過ぎた報復や、やられたらやり返す、やり返されたら更にやり返す、繰り返されるたびに増大する憎しみの連鎖を断ち切るためという、どちらかと言うと人権保護から作られた法律的側面が強い。
もちろん軽犯罪にもバッチリ適用される訳だが、まずもって超凶悪な重大犯罪でしか持ち出されないところを見ても、これだけ有名な法典でありながら、まだまだ十分正確には認知されていない気もする。
いずれにせよ「人間が人間を裁く」という、本来ならば禁断とされる行為についての法律なだけに、死刑制度廃止なども含めて、究極にデリケートな問題のひとつであるのは間違いない。
北風と太陽
先日各国の外交政策を巡って、イソップ童話の代名詞とも言える「北風と太陽」を例に出して解説している記事があった。
言わずと知れた超有名な童話だが、念のためあらすじを。
あらすじ
あるとき、北風と太陽が力比べをしようとする。そこで、旅人の上着を脱がせることができるか、という勝負をする。
まず、北風が力いっぱい吹いて上着を吹き飛ばそうとする。しかし寒さを嫌った旅人が上着をしっかり押さえてしまい、北風は旅人の服を脱がせることができなかった。
次に、太陽が燦燦と照りつけた。すると旅人は暑さに耐え切れず、今度は自分から上着を脱いでしまった。
これで、勝負は太陽の勝ちとなった。
教訓
手っ取り早く乱暴に物事を片付けてしまおうとするよりも、ゆっくり着実に行う方が、最終的に大きな効果を得ることができる。
また、冷たく厳しい態度で人を動かそうとしても、かえって人は頑なになるが、暖かく優しい言葉を掛けたり、態度を示すことによって初めて人は自分から行動してくれるという組織行動学的な視点もうかがえる。
別のストーリー
ところがこの話には別のストーリーが存在するのをご存知だろうか?
北風と太陽がした勝負は最初は旅人の帽子をとることだった。
最初、太陽は燦燦と旅人を照り付けると、旅人はあまりにもの日差しで帽子をしっかりかぶり、決して脱がなかった。
次に北風が力いっぱい吹くと、みごと簡単に帽子は吹き飛んでしまった。その次に行った勝負は旅人の上着を脱がす勝負だった。この勝負の結果は周知の如くである。
教訓
この別の話の教訓は、何事にも適切な手段が必要である、ということである。一方でうまくいったからといって、他方でもうまくいくとは限らない。その逆も然り。しっかり、結果を見据えて、手段を選ぶべきである。
外交政策とは、北風と太陽の最たるものである。国益を守るために、ありとあらゆる視点から道筋を見極めていかなければならない。
そういった内容の記事だったと記憶しているが、恥ずかしながらこの記事で初めて北風と太陽の別ストリーを知った。
人間「知っている」つもりで意外と「知らない」ものである。
合わせて読みたい!いや、読んでいただきたい!
いやいや、読んでくださいm(_ _)m!