「数日間、あんなふうに一言もしゃべらず崩れた家だけを見つめています」。
ネパールにマグニチュード7.8の強震が起きてから1週間が去った2日、カトマンズ近郊の街ラリットプールのテントで会ったサンドラソバ・マハルジャン(35、女性)は、姉の夫カジラル・マハルジャン(52)を痛ましい目で見つめていた。
深く刻まれたしわ、黒くやけた顔をしたカジラルは、ずっと目をしばたかせていた。涙が流れるからだ。
カジラルは先月25日、地震で妻を失った。家が揺れた時、彼らが最初に叫んだのは8歳の娘の名前だった。
2階の家の屋根で電線を直していた彼は「アンジェリーを探せ」と叫び、妻は家の中を探し始めた。しかし1分もたたず支柱だったレンガが崩れて階段を襲った。妻は崩れた階段の下敷きになって亡くなった。2階でジャムを作っていたのが彼が最後に見た妻の姿だった。
サンドラソバは「家の中では姉さんがアンジェリーを呼び、外ではアンジェリーがママを呼んで家に飛び込んでいった」として「片腕で私の息子を抱き、もう片方でアンジェリーの腕をつかんで家の外に引き出し2人の子供の命は助かった」と話した。
運良く生き残った者にとっても人生は苛酷だ。生活の拠点がなくなった上に救護物資も非常に不足しているためだ。
バクタプル中心街から30分ほど離れたチャグンという村のルース・ラル・タマング(38)は「5家族40人が1つのテントで寝るが、雨が降ればテント内が水浸しになる」と話した。
ワールドビジョンネパール地域のリズ・サト責任者(national director)は「災難地域の必須救護品である防水布や水、毛布などはもちろん食べ物も不足している状況」と話した。
その上、首都カトマンズは事情がまだましなほうだ。地震被害の激しいバクラプルや震源地であるコルカは、村の入り口にも車で30分~1時間ほど上がって再び10~20分ほど歩いて入らなければならない人里離れた村が多く、救護物資支援が容易ではない。
彼らはいつ余震がくるかも知れない村でずっと過ごさなければならない。
サンドラソバは「地震が恐ろしくて村を離れるという人もいるが、当然行く所がない私たちはその意欲がない」といった。
「臨時テントをはったこの土地も私たちのものではないので地主がきて出て行けといえば追い出されるしかない」。
子供に母親の死を理解させるのも大変な宿題だ。サンドラソバは「アンジェリーに母親の死を説明する方法がなく『ママは叔父さんのところに遊びに行った』と話しておいた」として「夜ごと母親を探す子供を、いつまでなだめられるか分からない」と話した。
しばらく言葉を失っていたカジラルは何とか重い口を開いて「家の下に妻がいる」として「遺体を探して葬儀を行うまでは何もできず、したくもない」と話した。
ワールドビジョン緊急救護後援02-2078-7000。
◆3日現在死亡者7000人超=2日(現地時間)崩れた家に閉じ込められていた101歳の男性が救助されたとAP通信が報道した。
地震発生7日ぶりに救助されたこの男性はすぐに病院に運ばれ今は無事だと地域警察は伝えた。
3日にはネパール北東部地域の山岳の村で男女3人が軍部隊によって救助された。この日までに死亡者は計7056人と集計された。
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