◇標高2000メートル 「ドルルルル」大きな揺れが2分間
【バルパク(ネパール中部ゴルカ地区)金子淳】
標高約2000メートル。急な斜面を5時間かけて登り切った先に、これまで見たことのないような多量の石や廃材があった。尾根に広がる村の中心地のはずだった。
「道の両側に家や店が並んでいたが、全てなくなった。ツナミにやられたようだ」。鳥のさえずりが響く中、村人が言った。
中部ゴルカ地区の中心都市ゴルカからふもとの村バルワまで四輪駆動車で約3時間。そこから約1000メートルを登った。
道は至るところで崩れ、巨岩が転がっている。ネパール軍兵士がむき出しの斜面をシャベルで削り、階段を付けていた。
何度も大きなかごを背負った人とすれ違った。バルワまで救援物資を取りに行くバルパクの村人だ。女性や子供、老人も多い。
雑貨店経営のチョウンさん(41)は、バルワの学校で寮生活をしていた息子(14)を捜しに行く途中だった。
バルパクは山頂に近い尾根の上に約1500戸が集まっており、外国人旅行者も訪れる風光明媚(めいび)な土地だった。だが、大地震で9割以上が倒壊し、約70人が死亡。残った家屋も柱や壁が壊れ、人が住める状態ではない。
車が通れた山道は崖崩れで寸断され、村は孤立した。一面の茶色いがれきの中にたたずんでいたアズテックスミー・ガレさん(22)は「美しい村だったのに完全に壊れてしまった」と、目に涙を浮かべた。
「ドルルルル」。4月25日の昼、マグニチュード(M)7・8の大地震で、バルパクではごう音とともに大きな揺れが約2分間続いた。大工仕事をしていたテクバードル・ガレさん(50)は、山のあちこちで地滑りが起き、もうもうと空に舞い上がる土煙を見た。
石細工師のチェバードゥル・グルムさん(51)は自宅の庭で仕事をしていたが、激しい横揺れで思わず地面に倒れ、一瞬気を失った。
気がつくと自宅は崩れ、中から母(65)の叫び声が聞こえた。「ここから出して」。夢中で掘り、めい(7)らを助け出したが、約20分後に再び大きな余震が起きた。すると、がれきの中から炎の柱が噴き上がり、自宅は黒焦げになった。
娘(5)ら4人が見つかったのは6日後。歯と小さな骨片だけになっていた。「何も残らなかった。でも怒っても仕方がない 」
発生から約4時間後、一度、軍のヘリが上空に来たが、着陸せずに飛び去った。村人はがれきの中からわずかな米を見つけ出し、ひとつまみずつ分け合ったという。
その夜、雨が降った。誰もが眠れず、広場をうろうろ歩き回った。 最初の救援物資が届いたのは翌日。インド軍のヘリが飛来した。その後も1日数回ヘリは来るが、テントは数家族に一つだけと、何もかもが不足している。
だが、村人には明るさがあった。子供はテントの周囲を駆け回り、女性は井戸で洗濯しながら時折、笑い声を上げていた。かろうじて残った雑貨店で食事や飲み物の在庫を売っていたウサデビ・ガレさん(42)は「ここもいつ崩れるか分からず怖いけれど、人が来るから店を開けた」と、照れくさそうに笑った。
下山中、救援物資をかごに積んだ村人たちが続々と登ってきた。その中に、見覚えのある顔があった。ふもとまで子供を捜しに行くと言っていたチョウンさんが、打って変わったような晴れやかな笑顔で言った。「やっと息子に会えたよ。気をつけて」
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