2016年は明け早々ショッキングなニュースが飛び込んできた。
軽井沢でスキーバスが崖から転落し、大学生ら14名が亡くなった事故。
シートベルトは着用されていなかった。その為、多くの人間が睡眠中に事故の衝撃で飛ばされ、防御姿勢もままならない状態で、首や頭から壁や天井に激突して死亡したと見られている。
死亡した14人のうち11人は、社会死として病身搬送もされなかったことから、衝撃のすさまじさを垣間見ることが出来るが、一方でシートベルト着用がなされていれば、多くの命が助かったのではないかと思うとやるせない。
社会死
医師の診断を仰ぐまでもなく、体の状態からだれが見ても判断できる死。法的な死は医師の死亡宣告によって確定するが、ミイラ化している、頭部の損傷が激しいなどで、蘇生が不可能と思われる状態をいう。
[補説]救急隊員はこの状態の死体については、蘇生措置を施さず、救急搬送もしないでよいとされる。
しかしその一方で、以前ある記事で書いたが、今回も神仏は命の境界線-生死の境目を、無慈悲にも書き記した。
sougi-soushiki.beauty-box.tokyo
同じ大学に通う男子学生で、共にシートベルトをしていなかったにもかかわらず、助かった者と命を落とした者がいる。
首都大学東京の学生の内、20の男子学生は九死に一生を得たが、友人の田原寛(かん)さん(19)は残念ながら帰らぬ人となった。
男子大学生は「どうして俺が生きていて、田原君が死んだんだろう。何が生死を分けたのか本当に分からない」と話した。
またバスが右側を下側にして横転した為、犠牲者は右側に集中していた。
右が大破したバス(時事ドットコム)
立った一本の細い通路を挟んで右か左か・・・
もっと言えば時間帯やバス会社により多くの本数が出ている中で、このバスを選んでしまった・・・
こうしたところにもしっかりと境界線は存在していた。
命の境界線-生死の境目・・・
彼らが立ってはいけない場所に立ってしまったことは、単なる偶然なのか?はたまた運命だったのか?
それは誰にも分からない。
仮に偶然なのか運命なのかが分かったところで、突然書き記される生死の境目を見極めることなど、我々には不可能だ。
結局人間はいつ自らの頭上に振り下ろされるとも分からない死神の鎌に怯えながら、一日を悔い無く生きていく他ないのだ。
この記事はメインブログ【丸腰の侍世界をやんわり斬る】で書いた記事を転写しています。
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