ちょっとした縁で、同じ地域に勤める日本でも、有数の大手葬儀屋の社員と知り合いになった。
ちなみに私の勤める葬儀屋は古くから続く、地元ではちょっとは名の知れた老舗で、「政治家、財界人、地元の名士の葬儀はここ」と、言われる葬儀屋だ。
しかし、しょせんはローカル企業。大手葬儀屋に比べれば、規模は月とスッポン、スーパームーンと6等星くらい違う。
同じ地域の同じ業界に籍を置いてはいても、向こうからすれば私の勤める葬儀社など眼中にない。
上から目線もいいところだ。
その地域で最も大きな葬儀をやるのは、私の勤める葬儀屋だ。葬儀を振られることはあっても、振ることなどないのだが・・・
こいつに限らずここの社員はみんなこんな感じだ。
その後、たまたま同じ斎場内にある隣同士の式場で葬儀をすることがあった。というか前にもあったのだろうが、知り合いではなかったので、気がつかなかっただけだろうが・・・
式場は隣同士だが、通夜も告別式も開式時間が1時間ほど私の方が早かった。
私の方は20人だけの家族葬で、やることも大してなかったこともあり、となりの斎場に遊びに行って、大手の式をじっくり観察することができた。
こちらと同程度の規模の葬儀だったが、正直スタッフのレベルの低さに愕然とした。気持ちなど一切こもっておらず、また私が考える最低限の気遣いや動きすら出来ていない。
大手だけに研修等はしっかり受けているのだろうが、看板の上にあぐらをかく、大手ゆえの余裕と気の緩み、若さゆえの勘違いが、彼らの成長を止めてしまっているのだろう。
そういえば彼を見て、ふと思い出しかことがある。
私は大学を卒業するとすぐに、東京証券取引所に上場する都内の大手企業に就職した。
業界内での地位は非常に高く、これぞまさに【金看板】といったところだ。
とある業種内交流会では、数十人の「社長」や「専務」、「営業部長」の名刺を持った中小零細企業のおっさん達が、我先にと大学を出たばかりの若造の前に並ぶ。
私の機嫌を取ることに必死の下請け会社社長を軽くあしらい、会社から支給されているゴールドカード片手に、颯爽と羽田空港のゴールド専用ラウンジへと向かう。
誰もが知る一流企業ばかりをを担当していた私からすれば、取るに足らない存在だった(と思っていた)。
あの頃の私は完全に勘違いしていた。今思えば完全に「嫌な奴」だ。
恐らく大企業の社員など、個々の力で言ったら、それぞれが会社を背負って必死に走り回っている中小零細企業の社員には到底かなわない。(自分たちでは絶対に認めないだろうが笑)
しかし、痛みをこらえて敢えて言わせてもらえば、あの頃私が見向きもしなかった、業界内の中小零細企業に勤める同世代の若手社員に、当時の私はかなわなかっただろう。
それでもその企業が燦然と輝いていられるのは、先人が作り上げてくれた【金看板】のおかげだ。実力以上の力を与えてくれる金看板の力は絶大だが、悲しいかな、在籍しているうちは中々その事実に気がつかない。
金看板を自分の力だと思いっきり勘違いしていころの自分が思い出され、少し恥ずかしくなる。
話が逸れたが、葬儀は一生に一回しかない、人生最後のセレモニーだ。
今現在、そうした場所に、「故人のため・遺族のために精一杯のお見送りを!」との一心で臨める自分がいることに心から感謝している。
彼もいつかそのことに気がつく日が来るのだろうか。
気づかなければ、可哀想な故人や遺族が増えるだけだ。一日も早く気づいてもらいたいと祈るばかりだが、それにしても短気でケンカっ早く、見栄っ張りで、尊大・・・
彼の態度を見ならが、そんな過去の自分が懐かしく思える度に、(よく言えば大人になった、悪く言えば年をとったのかな・・・)
そんな思いが頭を寄っ切っては消えた2016年の終わり。
私が関わらせていただいた、全ての故人と遺族に感謝と心よりの哀悼の意を表して、
合掌・・・
新年は神社にお参りし、ハロウィンやクリスマスを盛大に祝い、葬儀は仏式。
八百万の神を受け入れる柔軟性は、時に世界中の人々から批判と軽蔑を持って見つめられるものです。
他民族のみならず日本のテレビコメンテーターの中にも、ハロウィンで盛り上がる渋谷の街を、渋い目で見つめる人間も少なくありません。
【とんでもない遺族の話】
何かと持ちの物も、持って帰る物も多いもの。
それだけに忘れ物も多くなります。
火葬後の本膳(食事)も終わり、喪主夫婦が荷物をまとめてご帰宅の準備中。
あれやこれやと葬儀屋が自宅に届ける場合もありますが、今回はご自身でお持ち帰りになるとのこと。
旦那様(喪主)が葬儀屋サイドと今後のことについて話をしている間に、奥様が子供達と一緒に持ち帰る物を車に積み込む。
その後夫婦と私たちで最後の確認。
※陰膳は持ち帰る地域と持ち帰らない地域があります。
※残った料理は季節や種類、料理屋によって持って帰れる場合と帰れない場合があります。
ハイハイ、忘れ物の無い様にお願いしますよ。
って・・・
ちょっと待ったー!
遺骨!遺影!位牌!
ってかあんたら花と陰膳何に供える気だったんすか?
何なら花と陰膳なんざどうでもえぇワ!
でも故人様は忘れちゃいかんだろ・・・
【お前は肝心なところが抜けてるんだから】って・・・
旦那様、あんたもね!
チーンm(_ _)m・・・
まぁ、でもご遺族を庇うわけじゃありませんが、意外と故人様って忘れがちですよね・・・
今、【ドキッ!】とした人も多いのでは?www
みんなのお葬式体験談
特別は求めない!でもせめて人並みに畳の上で死にたい・・・
誰しもそんな思いを抱いたことの一度や二度はあるはずですが、だからと言ってまさか自分が人並みの死に方が出来ないかも・・・
そんなふうに本気で思っている人間も殆どいないでしょう。
高齢の祖父がいたのですが、歳を重ねる度に入退院を繰り返すようになり晩年は体を壊すようになっていました。
最後の入院の時に僅かに体調が良くなり、家に帰りたいと言い出したので許可を貰い帰宅しました。しかし3日後に体調が急変して、自宅で亡くなってしまったのです。
数日前までは元気に歩いていたので、亡くなるとは思っていなかったのですが、自分の布団の中で亡くなっていたのです。
朝に家族の者が気が付いた時には、すでに冷たくなっていました
家中がパニックになりましたし、突然の事に驚きを隠せませんでした。
警察も呼びましたが、事件性が無いという事で問題にはならず、その後にお葬式の準備に入りました。
業者の方に来て頂いて葬式の段取りに入りましたが、少しでも慰めて貰いたいと思う気持ちから葬儀社の方に聞いたのです。
祖父の亡くなり方は良い亡くなり方ですよねと訪ねたところ、幸せな亡くなり方だと思いますと慰めてくれたのです。
それから葬儀社の方が亡くなった方の例を上げてくれたのですが、聞いていて本当に心の痛む話でした。
一家5人が車で旅行に出かけたのですが、対向車が車線をはみ出して突っ込んできて、5人の乗った車と正面衝突をしたそうです。車は炎上をして中の5人は焼死をしてしまいました。
検視をして自宅に運ばれたのですが、損傷がひどい為に布団に寝かす事も無く、そのまま棺に入れられて、部屋に5人の棺が並んだのです。
遺影も5人分横に並ぶように置かれ、事故の大きさと無残な光景が忘れられなかったそうです。
棺の蓋をあけて顔を見せる事も出来ず、喪主である弟さんの憔悴仕切った顔が、未だに忘れられないと涙ながらに語り始めました。
火葬場では5人の棺が火葬炉の前に並び、順番に炉に入っていく姿がとても悲しく、今までの葬儀の中でも最も思い出したくない葬儀だそうです。
その話を聞いた時に私の祖父は病気で亡くなった訳であり、自然死で自分の布団の上で亡くなったので、本当に幸せな死に方だったと思い心の荷が下りました。
感想・解説
一家5人一度に事故死・・・葬儀屋からしても「えげつない!」っと思ってしまうほど、悲惨な話ですね・・・いずれにせよ、葬儀屋の過去の体験談を元に「いかにおじいちゃんの死が幸せな死に方だったのか?」を検証するまでもありません。
- 長生き
- 子供と孫がいる
- しかも関係は良好で、心から悲しんでくれている
- 畳の上(屋内ということ)での最期
- それほど苦しんだ様子がない
- しかも自宅!
これだけ揃う人はまずいません。
間違いなく最高ランクの死に方!と言っても過言ではありませんよ。
そもそも身内の死を「もっと下がいるからこの人は幸せな死に方だった。」という比べ方をしてしまうのもどうかと思いますし。
ついつい比べたがる人間の性は理解していますが、命とはこの世での使命を全うして、生命の源へと帰ってくわけですから、幸せだったのか?などと考える前に、精一杯の感謝と敬意を持って送り出してあげましよう。
それでも・・・
やっぱり気になってしまいますか笑?
大丈夫!心配しなくても、あなたのおじい様は超幸せな最期でしたよ!
みんなのお葬式体験談
「死ぬときは舞台の上で!」
「死ぬときはリングの上で死にたい!」
自分が命をかけてやってきたことや、大好きのことをやりながら死にたいという例えでよく使われる言葉ですが、本当にそれができたら幸せですよね。
あなたにとって最も幸せな死に方とは?
会葬者として、とある知人の葬儀に参列しました。
その知人の死因は、いわゆる心臓麻痺だったそうです。
なんと、カラオケで熱唱している最中に突然動きが止まって、そのまま帰らぬ人になったとのこと。歌ってる真っ最中に固まって突然死、というのは、不謹慎ながらなかなかインパクトがあり、参列者ほぼ全員にその話は知れ渡っていました。
そのおかげでしょうか。お葬式なのに式場がとっても明るい!!
友人はもちろん、ご家族や親族の方まで明るい。死因が死因だったせいか、まさしく死ぬ直前まで楽しそうだったそうで、カラオケで同席していた方々は「寂しいけど苦しまずにあんなに楽しそうにあの世に行けるなんて○○が羨ましいわー」と笑い話気味に語っておられました。
私も驚きましたが、一番驚いたのはお坊さんや葬儀屋さんだったに違いありません。彼らは見るからに戸惑っている感があって、なんともいえない不思議な光景でした。
そもそも故人の年齢も年齢でしたが、あんなに穏やかで明るいお葬式は生まれて初めてで、今後二度と体験することもないだろうなと思います。
人が死ぬということは寂しいことですが、中には陽気なお葬式もあるのですね。貴重な体験をさせていただきました。
感想・解説
ピンピン長生き!病気にゃ無縁!死ぬときゃコロッで浄土へエイサー!
高齢者は夢の「ピンコロ人生」を夢見て今日もせっせと。巣鴨地蔵(通称ピンコロ地蔵)に通うわけですね。
これもひとえに、そんな人生は滅多に遅れるものじゃないからですね。
病気とどれくらい縁のあった方なのかは書いていないのでわかりませんが、きっと丈夫で長生きだったんではないでしょうか?
しかも、カラオケ仲間と思しき人たちが参列していることから、大好きな趣味だったのでしょう。
そんなカラオケの途中でフッと逝けるなんて、とっても幸せなことですよね。
ちなみにお祭り型の葬儀は、たま~に経験します。
彼らが戸惑っていたように見えるのは、この手の葬儀は何度経験しても、立ち位置が難しいからですね。まぁ滅多にお目にかかれる訳ではないことは確かですが。
それにしても誰しも憧れる死に方ですね。
私もそうなりたい・・・
そう思うならば、日々の行いに気を付けて、あとは運を天に任せるしかありませんがね。
【おすすめの便利グッズ!煙が少なく手向ける側にもやさしいお線香】 ダイソー
日々使う仏具なら大抵100円ショップで手に入るようになりましたが、そんな中、ラインナップに追加された嬉しい商品が「煙の少ないお線香」
死後から四十九日までのお供え物の飾り方
火葬された後にご自宅へと帰ってきたご遺骨・お位牌・遺影写真。
葬儀屋が用意してくれた専用の「後飾り祭壇」にお飾りして、ようやく一息ですね。
後飾り祭壇のことを、【中陰飾り・中陰壇】と呼びます。四十九日を過ぎて仏になるまで、仏壇(仏のおわす壇)には入れませんので、中陰壇が故人様の仮のお住まいになります。
では、今晩からのお供え物はどうしましょう?
一昔前までは当日埋葬が当たり前でした。
今でも地域によっては当日埋葬の場所もあるでしょうが、現在は都市部を中心に四十九日以降に納骨する地域も増えています。
そこで気になるのが、故人様に何をお供えしていいのやら?ということ。
ご飯は?団子は?水は?好物は?
昔は故人様用の野膳なんて物を用意していたような気が。。。
何をいつ、どの様に供えたらいいの?
そんな疑問を持ったことはありませんか?
故人(死者)の食べ物
結論から言ってしまえば、亡くなった瞬間から故人はもうこの世の物は一切食べません。
色んな意味で・・・
死人に口無し!
では何を食べるのか?
四十九日まで(霊)
四十九日までの状態を【霊】と呼びます。
あの世(浄土)まで、旅をしながら、思い出の場所や所縁のあった皆様の所にちょこちょこ顔を出しています。
この状態の時の食べ物は、皆様が手向ける【お線香の煙】など、香りの良いものとされています。これを食香/香食(じっこう・こうじき)と呼びます。
ですから出来れば朝・昼・晩と一日三回お線香をお手向けしてください。難しいようなら、朝・晩、それも厳しいようならなるべく一日一回お線香をお手向けするようにしてください。
四十九日以降(仏)
霊の状態で旅をつづけた故人は、四十九日目に浄土に到達し、【仏】になります。これが世にいう成仏です。
これ以降は甘露(甘くて美味しいもの)などの、浄土の食べ物を食するようになります。
まとめ
霊の間は、ご飯や皆さんの手向ける線香の煙などの香り、四十九日経って仏様になった後は、甘露(かんろ)など、あの世の食べ物を食べます。
ちなみに浄土真宗は旅の期間がありませんので、亡くなってすぐに仏になります。
供え物の定番「野膳(のぜん)」の昔と今
話を元に戻しましょう。
本来はもうこの世の食べ物は食べませんので上記の食べ物は必要ありませんが、それではあんまりなので、昔は気持ちの整理が付くまで、野膳と言って、ご飯や味噌汁、お茶、お水、団子などをひとつのお膳にして、こまめに墓にお供えしていました。
野膳は、前述した食香、つまりそのものは食べなくとも、良い香りを届けるという意味でも有効な手段でした。
しかし高齢化や墓が遠い等の理由で、現在はあまりしなくなりました。
また、カラスや野犬に食い荒らされ、墓が汚くなることを嫌って、大概のお寺側も敬遠する傾向にあります。
さらに埋葬形式も変化しました。昔は遺体が腐る前に土葬してしまうしかありません。その後火葬になりましたが、いずれにせよ骨は当日に埋葬するのが一般的でした。
ところが現在は都心部を中心に、四十九日やあるいはもっと長期間遺骨を自宅などに安置しておく習慣が確立されたことも、野膳を墓に供えないことに繋がりました。
実際に何を供えれば良いのか?
さあ、そこで困ったのが、自宅に安置した遺骨に何を供えるかです。
野膳を毎日きっちり後飾りの祭壇に供えるのがベストでしょう。
しかし、昔と違って誰かが必ず家にいる時代は終わりました。
葬儀屋に毎日何かを作って供えるように言われ、負担に感じる遺族を多く見かけます。
ならばどうすれば?
結論から言ってしまえば、何も供える必要はありません。だって食べないんだから。
食香は線香やお花の香りで十分!
ってそれじゃあ、あんまりだって?
でも、「死んだらそこでおしまい」って、皆さんよく仰るじゃないですか笑
フォアグラのソテーをお供えしたところで、食べられんせん。
な〜んて。
確かに食べられませんがそれじゃ、あんまりですよね。
四十九日までのお線香の本数
香は故人様の食事ですからお線香は、出来れば朝昼晩、出来なければ少なくとも必ず一日一回は手向けたいところ。
お線香の本数は故人があの世までの道に迷わないように、【1本】が正解です。
水
またグラスに入れた水も一日一回、出来れば朝にお供えしたいところ。お茶はお気持ちで、どちらでもOKです。
故人が生前使用してたグラスがあれば、そちらを使いましょう。
ちなみに古いグラスの水は流しではなく、なるべく土に返しましょう。プランター等でもOKです。
循環させるという行為が、命の輪廻と重なり、故人様に良い結果をもたらしてくれます。
購入品・貰い物
特に気張って何かを作る必要はありませんが、例えば何か買ってきた物、あるいは貰ってきた物があったら、まずお供えしましょう。
故人様は自分では食べられませんが、あなたの近くで(良いな〜)って思いながら見ています。
お線香と共に真っ先にお供えし、「こんな物買ってきたよ〜」「こんなもの貰ってきたよ~」と報告してあげたら、「そうかそうか、みんなで美味しく食べておくれ」と、喜んでくれますよ。
報告が終わったら、もう下げてしまって大丈夫です。
もちろん機会があればたまには、故人様の好きだった物をお供えしてあげるのも良いですね。
野膳(ご飯・味噌汁等)
先述の通り、ご飯をあげる必要はありませんが、お気持ちの整理がつくまでは・・・ということであれば、それでも構いません。
その日作った物、例えばご飯と味噌汁、おかずを少し小皿によそって、お供えするなんて方法もあります。
ただしご飯をあげるならば、以下の点に留意してください。
基本は無理のない範囲で
炊きたてがない、メインがご飯ではない(パスタとか)・・・
それならそれで結構です。
外食した、ほとんど何も食べなかった・・・
それなら何もしなくても構いません。その代わりお線香だけは、しっかりあげてくださいね。
お供え物の意味を知ろう
たまに毎日のお供えはきちんとしたいが、「老人の一人暮らしで、仏様にお供えした分まで食べきれない。」とおっしゃる方もいます。
そんな時は自分の食べる分をお供えし、お線香を手向けた後、自分の分として食べてしまうのも有りです。
そんな失礼な!?って思うかもしれませんが、前述のとおり故人様はこの世の物は食べません。
でも故人様は死後四十九日は大変苦しい旅の途中。生きている人間の応援が必要なのです。
何かを供えるという行為は、「あなたのこと忘れてないよ〜だから頑張ってね!」という気持ちを届けるひとつの手段です。
決まった物を決まったとおりに供えるのが目的ではありません。
その思いを届けることそのものが目的なのです。
だから、ちゃんとその気持ちを持ち続け、毎日お線香は必ず手向ける、あるいは一日一回は天に向かって手を合わせるなど、日々の気持ちが届いていれば形式にこだわる必要はありません。
物をお供えする行為は、あくまでも故人様とのコミュニケーションの一環でしかありません。
故人様を思う気持ちがなければ、いくら形通りにやっても何の意味も待たないし、逆に気持ちさえあれば、形式にこだわる必要など全くありません。
無理なく出来る範囲でお供えをしましょう。
当日埋葬地域のお供え物
念のため当日埋葬の場合についても記しておきます。
こちらも先述したとおり野膳はお寺に残してきてはいけません。なるべく住職や葬儀屋と相談し、ご飯やお団子は出棺前のお別れの儀の時に棺の中に入れて、遺体と一緒に火葬しましょう。
(たまにこだわりの強い住職で、どうしても墓所に供えるように言われたら、言うとおりにしてください。)
空の茶碗は埋葬時にお墓に持って行き、水を張って置いておきましょう。初七日〜七七日(四十九日)までの7日ごとがベストですが、行けなければお墓に行けるタイミングで、その都度水を取り替えてあげましょう。お墓が汚れますので、ご飯などの食べ物は一切持って行く必要はありません。
(住職の指示でご飯や団子を供えた場合も、翌日には処分するように指示が出ると思いますので、同じように水を張っておいてください)
位牌や遺影は自宅に持ち帰って飾るでしょうから、そちらは後日埋葬と同じような手順で大丈夫です。
まとめ
- お線香はできる限り毎日手向ける(理想は朝昼晩)。出来ない時は、どこでも良いので一日一回は故人様を思い手を合わせる。
- 出来れば水も朝に供える。古い水は土に返す。
- 貰い物や購入品は一旦祭壇へ。たまには好物などを買って供えてあげるのも良い。
- その他のお供え物は、自分の食べる分を一旦お供えするなど、出来る範囲で良い。
- 色々昔からの決まりを言う人間もいるが、時代と共に忠実に実行することが難しくなっていることを理解し、あくまでも基本は無理をしないということ。
何度も述べてきましたが、いくら決められた通りにきちんとやったところで、形にこだわるだけで、気持ちが伴っていなけれは何の意味もなしません。
逆に気持ちがあれば、少々やり方が違かろうが、大した問題ではありません。
要は行為そのものではなく、あくまでも「故人への応援」と「故人を忘れていない」という気持ちを届けるためのものであり、もっと大きく言えば「仏様(故人)を大切にしなさい」という、仏教の大きな教えに当たるわけなのですね。
仏国と言ってもフランスじゃありません。
仏国土、つまり仏の国代表のベストイレブンを組んでみました。選考基準は人気・知名度・ご利益などを参考に、私の独断と偏見で選ばせていただきました。
少しでも仏教に興味を持ってくれればと思い、ちょっとした仏教知識を盛り込みながら、メンバーを考えてみました。深く考えずにさらっと読み流してください。
みんなのお葬式体験談
霊感のない私にはこの世に霊が存在するのかしないのかは分かりません。
しかし、葬儀において不思議な体験をする人が数多くいるのは事実のようですね。
母の父親、祖父の葬儀に行った時の話し。
お葬式の雰囲気にも慣れていないし、ただぼーっと長いお経を座って聞いていた時の事です。
葬儀をした場所は私が住んでいる所よりも平均気温が高く、長袖一枚でも平気なくらいでした。
ところがお経の時、妙に肌寒く感じました。
喪服をしっかり着込んでおり、それまでは全く寒くなかったのに。。。
そう言えば・・・
お経が始まる前か最中かは忘れてしまったんですが、椅子に座っていた時、横にいた妹が私の手が緑色だと言うのです。
考えられなかったし、まさかと思って見ると、確かに右手の甲の部分だけ、肌の色が何か薄く緑がかっていました。
左の甲などは何ともなく、特に体調不良等もなかったんです。
ちなみに祖父とは私が幼い頃に会ったらしいですが、残念ながら何も思い出がなく、顔も全く覚えていませんでした。
感想・解説
急に襲った肌寒さと右手を緑色に染めた正体は何だったんでしょうかね。。。
でもきっとおじいちゃんが、存在に気付いてほしかったんっでしょうね。
小さいころに会ったきりと言っても、孫は孫。心のどこかでいつも投稿者様のことを考えていたんじゃないでしょうか?
葬儀に来てくれたことへの感謝と、久しぶりに会えたことへの喜び。
そうした思いを伝えたかったのではないでしょうか?
友引に葬儀はできない?
友引の日は火葬場が休み。よって式と火葬がセットで行われる告別式は出来ない(通夜はできる)。
みなさんはこんな認識を持っていませんか?
でもこれって本当?
そんな質問をいただきました。
はじめまして。
先月、父を亡くして寂しい思いをしている者です。
父の葬儀で、火葬場に運んでくださった霊柩車の運転手さんの話によると、「友引でも火葬場はやっている。なぜなら六曜は仏教とは無関係だから」とのことでした。
また、我が家は浄土真宗なのですが、やはり友引は仏教とは関係ないので、通夜、葬儀の日取りに考慮しないと聞きました。
もともと浄土真宗は、迷信は信じない宗派だそうです。 これは、浄土真宗だけなのでしょうか?
そもそも六曜って何?
六曜とは中国で生まれた日にち毎の暦注(れきちゅう)、つまり一日一日に吉凶が付いた占いの様なものです。
- 【先勝】【友引】【先負】
- 【仏滅】【大安】【赤口】
上記6つが順番に周ってきます。
「結婚式は大安吉日が良い」
「葬儀は友引を避ける」
「引っ越しは赤口にしないほうが良い」
日本でも六曜に関する様々な言い伝えがありますが、民間信仰からくる完全な迷信であり、結論から言えば仏教とは全く関係ありません。
友引とは?
「凶事に友を引く」の意味。
かつては「勝負なき日と知るべし」といわれ、勝負事で何事も引き分けになる日、つまり「共引」とされており、現在のような意味はなかった。
陰陽道で、ある日ある方向に事を行うと災いが友に及ぶとする「友引日」というものがあり、これが六曜の友引と混同されたものと考えられている。
元々六曜では「引き分け」の意として使われていたのが、陰陽道の「友引日」と混同され、(冥土に)友を引くとして、葬儀が避けられるようになったんですね。
友引の日に火葬場が休みの理由
それでは本題です。
現在日本の大半の火葬場が友引を非稼働日としています。
ではなぜ仏教とは全く関係のない六曜の影響をうけ、今でも可動を停止している火葬場が多いのでしょうか?
迷信や民間信仰が今よりはるかに重んじられていた昔ならいざ知らず、科学が支配する現代でも、こうした迷信が重んじられているのは不思議なことですね。
理由は大きく分けて2つあります。
火葬炉のメンテナンス
火葬場の数はそれ程多くはありません。
高温で一日フル稼働を強いられる火葬炉の傷みは想像するに難くありません。
万が一稼働日に炉が壊れたらそれこそ一大事です。
だいたいの火葬場は16時くらいで終わりですが、その後は例えば人体実験に使われた遺体のような訳あり遺体の火葬や、日中の火葬で炉にこびりついた人間の油を燃やしきるためのスローダウン運転、炉の冷却などが行われるため、営業時間後のメンテナンスは時間的に困難です。
そこでどうしても一日集中的に炉のメンテナンスをする時間が必要となってきます。対応策として一般的に葬儀を忌み嫌う友引を休みとして炉やその他設備のメンテナンスに当てているわけです。
通夜は出来るの?
友引の日は火葬ができないため告別式はできませんが、火葬とは関係ない通夜は可能です。
これはそもそも通夜とは、訃報の知らせを受けた故人と縁のある人間たちが駆けつけ、故人を夜通し偲ぶというもの。
聖職者を呼んできちんとした「(葬)儀式」として行うようになったのはそれ程、古い話ではありません。
「通夜=きちんとした(葬)儀式=避けるべき」という感覚にはならなかったのでしょう。
葬儀業界の定休日
一般企業なら土日、美術館や図書館、理容院なら月曜日、美容院なら火曜日・・・
多くの業界にはある程度決まった休みが存在します。
ところがいつ葬儀やご遺体の搬送、遺族の呼び出しがかかるかわからない葬儀業界は、24時間365日稼働しています。
これでは休みはおろか、会社の飲み会すらおちおちセッティングできません。
しかし、友引に火葬場が休みとなれば、前述のとおり友引に告別式ができません。
通常告別式の前日に行われるのが通夜ですから、そうなれば必然的に友引の前日は通夜ができません。
- 友引前日 告別式はOK 通夜はNG(翌日は告別式ができないから)
- 友引当日 告別式はNG 通夜はOK
遺体の搬送業務などは発生しますが、絶対的な仕事量が減るため、友引前日や友引当日をうまく使って夜遊びに行ったり、社員を休ませたりすることが可能になります。
僧侶などの聖職者・葬儀屋・火葬場・貸式場・花屋・料理屋・返礼品屋・テント屋・・・
葬儀業界に携わる人間にとって、曜日よりも日付よりも、唯一絶対的な存在。
それが「友引」なのです。
浄土真宗と友引
仏教の宗派の中で特に民間信仰や迷信を嫌うのが浄土真宗です。
しかし前述のとおり、六曜と仏教は全く関係がありません。つまりどんな宗派であろうとも、できる状況なら普通に式は執り行います。
強いて言えば浄土真宗は迷信を明確に拒絶する、その他の宗派は時代の波に乗りながら、基本的には喪家に任せるという傾向があります。
つまり他の宗派は基本的には葬儀業界の人間同様、友引の習慣をうまく利用して予定をやりくりし、浄土真宗は自らの予定よりも宗派の教義を貫きたいと考えてます。
しかしどんなに浄土真宗のお寺が騒いでも、火葬場がやっていなければどうすることもできません。
よって宗派による違いというよりは、単純に地域の火葬場の都合と考えたほうがいいでしょう。
東京23区火葬場の稼働状況
参考までに東京都区部と近隣の火葬場の運営状況を載せておきます。
東京都江戸川区にある東京都内で唯一都が管理している公営火葬場。友引は休業。
大田区にある公営火葬場。大田区・品川区・目黒区・港区・世田谷区の共同運営火葬場。都内で唯一友引も稼働している。
東京博善社が運営する六つの民間火葬場【落合斎場(新宿区)・代々幡斎場(渋谷区)・町屋斎場(荒川区)・四ツ木斎場(葛飾区)・堀ノ内(杉並区)・桐ヶ谷斎場(品川区)】は友引は全て休業。
板橋区にある(株)戸田葬祭場が運営する民間火葬場。友引は休業。
東京都足立区との県境、埼玉県草加市の端に位置する(株)聖典八塚が運営する民間火葬場。友引は休業。
東京都府中市ある(株)日華が運営する民間火葬場。友引は休業。
23区とその周辺に位置する火葬場で友引も稼働しているの火葬場は、僅かに臨海斎場のみ。
その他の火葬場は友引は全て休業となっています。
今後の火葬場運営
何度も触れてきたとおり、基本的に日本の主な宗教と六曜は関係ありません。
しかしただでさえこれから団塊の世代が寿命を迎え、火葬場が足りなくなる時代に突入すると言われている昨今。
一昔前まで友引に可動する火葬場など考えられなかったのでしょうが、比較的新しい臨海斎場をはじめ、まだまだ一部ですが川崎市の火葬場や千葉県の火葬場など、1都3県でも友引も稼働する斎場が存在感を強めつつあります。
今後は人口密集地を中心に「友引だから」と悠長なことを言っていられない時代が来るのは間違いないでしょう。
徐々に友引も稼働する火葬場が増えてくるかも知れませんね。
葬儀着業界の人間としては、とっても悲しいことなんですがね・・・