ブタは絶対的禁忌
ムスリム(イスラム教徒)にとっての食事や食べ物と言われて真っ先に思いつくのは「豚」ではないだろうか?
繁殖力が強いことから【富・繁栄】の象徴として、日本はもちろん世界中で縁起物として人気の高い豚だが、ことイスラム教徒にとっては豚の存在は、非常に大きな禁忌なのだ。
けがれた存在として食することが禁止されているだけでなく、存在そのものが「悪」とされている。
そんな豚の扱いがよくわかるエピソードをご紹介。
西遊記から猪八戒が消える
西遊記といえば、三蔵法師が天竺に仏教の経典を取りに行く物語。三人の家来とともに幾多の困難を乗り越える姿は、いつの時代も子供たちを興奮の渦に巻き込むものです。
ところで三人の家来といえばもちろんこの面々。
- 猿の孫悟空
- 河童の沙悟浄
- 豚の猪八戒
ところがマレーシアでこの三人の中のひとりにある異変が起こっています。
中国の伝奇小説「西遊記」は日本でもよく知られている。天竺(いまのインドのあたり)に経典を求めて旅をする三蔵法師と従者の孫悟空、沙悟浄、猪八戒が織りなす波瀾(はらん)万丈の物語。
これを題材にした香港映画「モンキー・キング2」がマレーシアで公開されたが、首都クアラルンプールで見たポスターはどこか変だ。もとのデザインにはあった猪八戒の姿が消えている。
なぜ隠したのか?
配給会社は地元メディアに対し「演じた俳優の知名度が低い」と弁明するが、言葉通りに受け取る向きは少ない。
猪八戒は豚がモデル。豚を忌避するイスラム教徒の反発を恐れ、配給会社が自主規制したという見方が多い。マレーシアの人口約3000万人のうち、マレー系が6割を超える。ほかに中国系の華人やインド系など。マレー系の多くが信じるイスラム教を国教に掲げる。
レーシア:「猪八戒」の姿が消えた街
日本経済新聞
その自由奔放で人間味あふれる性格から、中国では孫悟空を凌ぐほどの人気を博する猪八戒。
一方で禁忌とされる豚が活躍することから、中東をはじめとするイスラム国で西遊記自体、ほとんど知られていない。
【ベネツィアのマルコ】遺骸搬送
イタリアにある水の都「ベネツィア」の守護聖人、聖マルコ。
街の中心にそびえ立つ「サン・マルコ大聖堂」には、 マルコの遺骸が眠っている。
しかし、その遺骸はエジプトのアレキサンドリアにある「サン・マルコ大聖堂」から盗んできたものだったということをご存知だろうか?
以前アレキサンドリアはキリスト教きっての重要都市だったが、その後イスラム教徒に占領され、サン・マルコの墓も荒らされていた。
そこで自分たちのベネツィアに博をつけようと、著名な聖人の遺骸を探していた、商人たちがマルコの遺骸の運び出しに着手する。
しかし、そのまま運び出しそうとすれば、当然支配しているイスラム教徒に阻止されてしまう。そこで船に乗せた遺骸の上にキャベツと豚肉を敷き詰め、イスラム教徒の検問を無事通過したというものだ。
イスラム教徒にしてみれば、一刻も早く豚を遠ざけたかったために、ろくに検査もせずに通過させたのだろうが、まさかその下に聖人の遺骸が隠されていようとは、夢にも思っていなかっただろう。
吉村作治の離婚の原因は豚
世界的なエジプト考古学の権威として名高い早稲田大学の吉村作治氏。
エジプト滞在中にイスラム教に改宗し、エジプト人と結婚したが、その後離婚。原因は帰国して日本での定住を決意した吉村に対し、エジプト定住以外は認めない姑との間に争いが起こったこと。
しかしその他にも妻に内緒でこっそりチャーシュー(豚肉)入りのラーメンを食べてしまったことが妻にバレたことも大きな一因とされる。
以前何度か講演を聞きに行くこともあったが、「どうしても我慢出来なかった」といった趣旨のことを語っていた記憶がある。
豚肉を食べさせられた男性が食事を拒否
イスラム教徒に誤って豚肉 男性は2週間食事取らず(東京入管横浜支局)
東京入国管理局横浜支局(横浜市金沢区)が、豚肉を食べることが戒律で禁じられている収容中のイスラム教徒の男性に、誤って豚肉を提供し、謝罪していたことが28日、同支局への取材で分かった。
同支局によると、強制退去手続きのために収容されている男性はその後2週間、入管が提供する食事は取らず、水と医師の処方による栄養補助剤だけ口にしており、ハンガーストライキに入っている。
12日の昼食の弁当にベーコン入りのサラダを提供。男性が食べる前に気付き、入管側に伝えた。
イスラム教徒への食事は通常、委託業者に豚肉を使わないように入管側が依頼し、届いたものを職員が確認しているが、男性の弁当の中身を委託業者と入管職員の双方が十分に確認しなかったことが原因とみられる。
産経ニュース
2週間、水だけというのはかなりの覚悟がなければ出来ないことだ。
蚊遣豚にブタ貯金箱に紅の豚。
日本人にはとっても馴染み深い生き物なのだが、所変われば何とやら・・・
拒絶反応
著名な作家がイスラム圏を旅したとき、とんでもないいたずらを思いついたのだそうです。
「イスラム教徒に豚肉を食べさせたらどうなるやろか」
というわけです。そこで豚肉が原料のソーセージを焼いて、知り合いになったイスラム教徒たちに振る舞ったのです。
すると彼らは、「うまい、うまい」と、それらを食べてしまいました。 やがて宴が終わるころ、SF作家が種明かしをしました。
「さっき君らが食ったんは、じつは豚肉やったんやでぇ」
その瞬間、彼らは顔面蒼白になり、嘔吐しはじめました。やがて全身の痙攣が始まり、呼吸困難になり、顔面は真っ青……。
救急車を呼ばねばならなくなるし、警察官が来て尋問を受けることになるし、すんでのところで逮捕されそうになったといいます。
嗜好品文化研究会
思わず人間の肉を食べさせられた時の、人の反応に似ていると思ってしまった。
まとめ
これらのエピソードからイスラム教徒が如何に豚という存在に対して、激しい拒否反応を持っているかが分かる。
もちろん厳格なイスラム教徒と、比較的ゆるいイスラム圏のイスラム教徒ではその強さに違いがあるだろう。
また、個人差によるとことも大きいだろう。
厳格な地域のイスラム教徒が、
「アラーも見てはいないよ」「郷に行っては郷に従え」などととうそぶきながら、平然と豚肉を口にする光景も幾度となく目にしたことがある。
しかし、多くのイスラム教徒にとって、豚は悪の権化以外の何物でもない。
エジプト留学中に何度も「本当に日本人は豚を食べるのか?」と聞かれ、うなずく私を見て目の色を変えるエジプト人にどれ程遭遇したことか。
自分の体験を踏まえて、【イスラムと豚】というテーマは、なかなか興味深い。
何にせよ、世界を見渡してみると、時に我々は宗教の持つ力の大きさを、まざまざと見せ付けられることがある。しかしこうした場合、多くの日本人はそうしたことを積極的に理解しようとはしない。
特に宗教離れが著しい日本の若い世代にとって、宗教の力は想像をはるかに超えるものであり、おいそれとは理解できないものである場合も少なくない。
しかし、積極的に相手の宗教を理解しようとする姿勢なくして、相互文化理解、ひいてはその先にある世界平和の実現がありえないのもまた事実だ。
時として『何もしない』ことは、無罪ではない。
世界平和はそのさえたるものだろう。
怖い怖いと言いながらも、イスラム過激派の暴走を、どこか遠い国の出来事として傍観している多くの日本人の姿が、今の混沌とした世界を作り出すひとつの要因であることを決して忘れてはならない。