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【とんでもない遺族の話】

90代の女性の葬儀

送り出すのは仲は良いが、少々口が悪くて個性的な遺族親族。イロイロあったが、無事出棺の運びとなった。

出棺前の挨拶は喪主(70代の故人の長男)が務めたが、これが近年稀に見るグダグタな挨拶。

兎に角長いのだが、支離滅裂な内容と指示語のオンパレードで、言ってることの意味も、何が言いたいのかも1ミリも伝わらない。

止めれば良いのに、変なゾーンに突入した喪主が更なる深みへと落ちてゆく。

喪主
喪主
「まぁ、そのぉ〜、アレだ、アレだよ。私らの時代は〜兎に角アレだった訳だ。辛かったけれども、まぁ、アレだった・・・って言っても、その〜、お前たち下の世代はわからないか?」

故人の孫たちに語りかける。

分かるかー!

どの世代でも分かる訳ねーわ!

もうそれが日本語と言うだけで、例えギリシア語でもアゼルバイジャン語でも、多分周囲の理解度は同じなんじゃないかと思うレベル

それが5分、10分と続き、周囲は完全に理解しようとする努力を放棄した。

その時、

喪主の弟
喪主の弟
「長えし、何言ってるかサッパリ分かんねぇんだよ!!」

後方からの突然の声に振り返ると、そこには故人の次男が。

この2人、決して悪い人達じゃないんだが、両者共に若干アクが強め。

喪主の弟
喪主の弟
「色即是空(私)さん、釜の時間もあるんだし、流石にビシッと行ってやらないと。『お前の話はつまらん!』って!」

大滝秀治か!?

まぁ、でも正直助かった。誰もが喉元まで出かかっていたけど、言えなかったセリフ。

お花入れの儀から長時間立ちっぱなしで、若干フラフラの平均年齢高めの会葬者達。このまま聞かされてたら、死人のひとりやふたり出るところだ。

しかし安堵したのも束の間。これで収まらないのが、今回の遺族だ

喪主
喪主
「うるせぇんだよ!人が気持ちよく喋ってんのに、水を差すとは何事だ!親の顔が見てぇよ!」
喪主の弟
喪主の弟
「目の前に居んだろ!?」
喪主
喪主
「冗談だろ!おめぇは冗談のひとつも通じねぇのかよ!?」

不謹慎!!!

まさかの兄弟喧嘩勃発。

喪主の弟
喪主の弟
「大事な場で無駄話してるお前が悪いんだろ?そっちこそ親の顔が見てみてぇよ!」
喪主
喪主
「だったら見せてやるよ!」

棺の小窓をパッカーン!

たがら死人で遊ぶんじゃねー!

\(◎o◎)/!

喪主
喪主
「仕方ないだろ?イロイロ話したいことがあったんだけど、この年になると忘れちまうんだよ。昨日だって飯食ったの忘れて。。。」
喪主の妻
喪主の妻
「あんた!その話は今は余計でしょ?」
喪主
喪主
「余計なことあるか!お前のそう言う小言の方が、よっぽどよけいなんだよ!」
喪主の妻
喪主の妻
「人前で言うわねー!あんたこそ、いつもいつもやることなすこと余計なことばかり!昨日はお皿洗ってくれたのは良いけど、どうのこうの・・・」

まさかの巴戦!

ご両人!どっちの話も確実に余計だってつーの!

喪主の弟
喪主の弟
「あれっ!?」

突然素っ頓狂な声を上げる弟。

喪主
喪主
「今度は何だよ!?」
喪主の弟
喪主の弟
「俺の鉛筆の芯が無い!」

インクの抜けたボールペンのプラスチック部分だけを摘んで、不思議そうに眺める弟。

故人の曾孫
故人の曾孫
「おじいちゃん、鉛筆じゃなくて、それボールペンだし!」

(故人の)ひ孫よ、突っ込むポイントはカクジツにそこじゃねー!

ひとしきり舌戦を繰り広げた後、ふと、喪主が呟く。

喪主
喪主
「人生ってのはイロイロあるよな」
喪主の弟
喪主の弟
「そうだな。無茶ばっかやってるとバァさんに心配かけちまうから、仲良くやっていこうや
喪主
喪主
「あぁ」

どこからとも湧き上がる、温かい笑いに包まれ、場が和む。

批判覚悟で言わせていただければ、醜い兄弟喧嘩のくだりから、まさか最後はこんな美しい展開になるとは思ってもみなかったから、ちょっとびっくり・・・笑

いずれにしても故人も草葉の陰から、ハラハラ、ゲラゲラ、さぞ忙しかっただろうが、最後は良い送り出しが出来た。

それにしても、遺体で遊ぶのはやめてね!って思ったとんでもない遺族の話。

【とんでもない葬儀屋の話】

都内の病院でお亡くなりの方。家に帰ることだけを目標に、2年に渡り巨大な病魔に挑み続けてたが、夢叶わぬまま帰らぬ人となった

そんな事情もあり、ご遺族たっての希望で、病院から1日ご自宅でお過ごしいただき、ご自宅から安置所へと搬送させていただいた。

安置所までの搬送は私とサブスタッフの2人で行った。故人が小さなお店を経営していたとのことで、安置所へと行く途中に前を通って欲しいと言われ、快諾した。

多少遠回りにはなるが、故人のことを思えばお安い御用だ。

遺族に見送られ、目的地を目指す。

喪主様から「狭い路地の一角にあり、分から辛い」と聞いてはいたが・・・

想像以上に入り組んだ路地。

周りをキョロキョロ見渡しながら、走っていると・・・

やってしまった!

故人の店の前辺りに差し掛かった時、一方通行の路地を逆走していることに気がついた。

しかもそんな時に限って事件は起きるもの。慌てて走り抜けようとしたが、時すでに遅し。

前からチャリで巡回中の中年ポリスメンがやって来る。素知らぬフリで通り過ぎようとしたが、勿論そうは問屋が卸さない。

ネズミ捕りの警察官
警察官
「はい、止まって〜。運転手さん、ここ一通だから」
 
「ごめんなさい。今気付きました」
ネズミ捕りの警察官
警察官
「確かに分かり辛いからねー。気を付けないと。はい、免許証出して」

免許証を受け取り、お決まりの違反処理を始める警察官。

ネズミ捕りの警察官
警察官
「あれ?この車、緑ナンバーだけど、タクシーじゃないの?」

※葬儀屋がご遺体の搬送に使う搬送車両(寝台車・霊柩車)はタクシーやトラックと同じ緑ナンバー。

 
「ご遺体の搬送車です」
ネズミ捕りの警察官
警察官
「これから葬儀?」
 
「実は・・・かくかくしかじか」

事の成り行きを伝える。

ネズミ捕りの警察官
警察官
「ぐぬっ・・・」

車の後部に積んである棺を運転席から覗き見ながら、警察官の顔が曇る。

ネズミ捕りの警察官
警察官
「うーん。。。」

腕組みをして天を仰ぐポリスメン。

その瞬間、

ガシャーン!

遺族の希望でドーム型棺の上に乗せてあった、キーケース(店の鍵束)が横に落下した。

どうやら細い道をクネクネ走ってるうちに落ちそうになり、ギリギリのところで止まっていたところが、何かの拍子で落下したらしい

ビクつく3人。

次の瞬間・・・

ネズミ捕りの警察官
警察官
「行きなさい」
 
「えっ?」
ネズミ捕りの警察官
警察官
「今回は事情を考慮して、特別に厳重注意で済ませてあげるから。行きなさい」

苦渋の表情で声を絞り出す警察官。

 
「いや、でも・・・」
ネズミ捕りの警察官
警察官
「良いから行きなさい!私の気が変わる前に!」
 
「えっ?ホントに良いんですか?」

予想だにしなかったポリスメンの言葉に、戸惑いが止まらない。

ネズミ捕りの警察官
警察官
「良いんだよ。これから天国に旅立つ故人に、余計なケチつける訳にいかんだろ!何より私自身、これで故人に呪われでもしたら、堪らんだろ!」

えー!最後の一言はどうかと思うけど!

何だかんだ言っても警察官も人の子だな〜(*^-^*)

まぁ、何れにせよ助かった。

丁寧にお礼を言って、走り出そうとしたら、再び警察官に止められる。

 
(まさか、もう気が変わった?)

恐る恐る止まると、

ネズミ捕りの警察官
警察官
「危ないから、一通抜けるまで先導するから。これ以上遺体を増やす訳にはいかんだろ?」

豪快に笑いながら、寝台車の前を走って行く。

警察官って、怖いイメージしかないけど、案外良い人も多いんだなー。

ネズミ捕りの警察官
警察官
「(故人を)しっかり送り届けるんだよ」

警察官に見送られ、寝台車はゆっくりと式場に向かう。

車内に何とも言えない温かい空気が流れる。

サブスタッフからの意外な一言がぶっ放されるまでは・・・

安堵したのも束の間。助手席のサブスタッフが発した一言に、再び車内が凍りつく。

葬儀スタッフ
サブスタッフ
「色即是空さん、さっき気付いたんだですけど・・・この車・・・先月で車検切れてます!!!」

NOー!!!

見つかってたら、即免停必至!!!

車の運転できない葬儀屋なんて、まさに【飛べない豚はただの豚】状態。

式場にご遺体を安置した足で、車検場に車を持ち込んだことは言うまでもない。

この世に霊がいるのかどうかは知らないが、間違いなく命なき者に命を救われたよねっていう、とんでもない葬儀屋の話。

皆さんも車検切れと交通ルールにはくれぐれもご注意をm(_ _)m

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ブタは絶対的禁忌

ムスリム(イスラム教徒)にとっての食事や食べ物と言われて真っ先に思いつくのは「豚」ではないだろうか?

繁殖力が強いことから【富・繁栄】の象徴として、日本はもちろん世界中で縁起物として人気の高い豚だが、ことイスラム教徒にとっては豚の存在は、非常に大きな禁忌なのだ。

けがれた存在として食することが禁止されているだけでなく、存在そのものが「悪」とされている。

そんな豚の扱いがよくわかるエピソードをご紹介。

西遊記から猪八戒が消える

西遊記といえば、三蔵法師が天竺に仏教の経典を取りに行く物語。三人の家来とともに幾多の困難を乗り越える姿は、いつの時代も子供たちを興奮の渦に巻き込むものです。

ところで三人の家来といえばもちろんこの面々。

  • 猿の孫悟空
  • 河童の沙悟浄
  • 豚の猪八戒

ところがマレーシアでこの三人の中のひとりにある異変が起こっています。

中国の伝奇小説「西遊記」は日本でもよく知られている。天竺(いまのインドのあたり)に経典を求めて旅をする三蔵法師と従者の孫悟空、沙悟浄、猪八戒が織りなす波瀾(はらん)万丈の物語。
これを題材にした香港映画「モンキー・キング2」がマレーシアで公開されたが、首都クアラルンプールで見たポスターはどこか変だ。

もとのデザインにはあった猪八戒の姿が消えている。

なぜ隠したのか?

配給会社は地元メディアに対し「演じた俳優の知名度が低い」と弁明するが、言葉通りに受け取る向きは少ない。
猪八戒は豚がモデル。豚を忌避するイスラム教徒の反発を恐れ、配給会社が自主規制したという見方が多い。  

マレーシアの人口約3000万人のうち、マレー系が6割を超える。ほかに中国系の華人やインド系など。マレー系の多くが信じるイスラム教を国教に掲げる。

【イスラム教の食事】豚がイスラム教徒(ムスリム・モスリム)にどれほど嫌われているか知っていますか?

レーシア:「猪八戒」の姿が消えた街

日本経済新聞

その自由奔放で人間味あふれる性格から、中国では孫悟空を凌ぐほどの人気を博する猪八戒。

一方で禁忌とされる豚が活躍することから、中東をはじめとするイスラム国で西遊記自体、ほとんど知られていない。

【ベネツィアのマルコ】遺骸搬送

イタリアにある水の都「ベネツィア」の守護聖人、聖マルコ。

街の中心にそびえ立つ「サン・マルコ大聖堂」には、 マルコの遺骸が眠っている。

しかし、その遺骸はエジプトのアレキサンドリアにある「サン・マルコ大聖堂」から盗んできたものだったということをご存知だろうか?

以前アレキサンドリアはキリスト教きっての重要都市だったが、その後イスラム教徒に占領され、サン・マルコの墓も荒らされていた。

そこで自分たちのベネツィアに博をつけようと、著名な聖人の遺骸を探していた、商人たちがマルコの遺骸の運び出しに着手する。

しかし、そのまま運び出しそうとすれば、当然支配しているイスラム教徒に阻止されてしまう。そこで船に乗せた遺骸の上にキャベツと豚肉を敷き詰め、イスラム教徒の検問を無事通過したというものだ。

イスラム教徒にしてみれば、一刻も早く豚を遠ざけたかったために、ろくに検査もせずに通過させたのだろうが、まさかその下に聖人の遺骸が隠されていようとは、夢にも思っていなかっただろう。

【イスラム教の食事】豚がイスラム教徒(ムスリム・モスリム)にどれほど嫌われているか知っていますか?

吉村作治の離婚の原因は豚

世界的なエジプト考古学の権威として名高い早稲田大学の吉村作治氏。

エジプト滞在中にイスラム教に改宗し、エジプト人と結婚したが、その後離婚。原因は帰国して日本での定住を決意した吉村に対し、エジプト定住以外は認めない姑との間に争いが起こったこと。

しかしその他にも妻に内緒でこっそりチャーシュー(豚肉)入りのラーメンを食べてしまったことが妻にバレたことも大きな一因とされる。

以前何度か講演を聞きに行くこともあったが、「どうしても我慢出来なかった」といった趣旨のことを語っていた記憶がある。

【イスラム教の食事】豚がイスラム教徒(ムスリム・モスリム)にどれほど嫌われているか知っていますか?
吉村作治氏(Twitterより)

豚肉を食べさせられた男性が食事を拒否

イスラム教徒に誤って豚肉 男性は2週間食事取らず(東京入管横浜支局)

東京入国管理局横浜支局(横浜市金沢区)が、豚肉を食べることが戒律で禁じられている収容中のイスラム教徒の男性に、誤って豚肉を提供し、謝罪していたことが28日、同支局への取材で分かった。  

同支局によると、強制退去手続きのために収容されている男性はその後2週間、入管が提供する食事は取らず、水と医師の処方による栄養補助剤だけ口にしており、ハンガーストライキに入っている。  

12日の昼食の弁当にベーコン入りのサラダを提供。男性が食べる前に気付き、入管側に伝えた。

イスラム教徒への食事は通常、委託業者に豚肉を使わないように入管側が依頼し、届いたものを職員が確認しているが、男性の弁当の中身を委託業者と入管職員の双方が十分に確認しなかったことが原因とみられる。

産経ニュース

2週間、水だけというのはかなりの覚悟がなければ出来ないことだ。

蚊遣豚にブタ貯金箱に紅の豚。

日本人にはとっても馴染み深い生き物なのだが、所変われば何とやら・・・

【イスラム教の食事】豚がイスラム教徒(ムスリム・モスリム)にどれほど嫌われているか知っていますか?

拒絶反応

著名な作家がイスラム圏を旅したとき、とんでもないいたずらを思いついたのだそうです。  

「イスラム教徒に豚肉を食べさせたらどうなるやろか」  

というわけです。そこで豚肉が原料のソーセージを焼いて、知り合いになったイスラム教徒たちに振る舞ったのです。

すると彼らは、「うまい、うまい」と、それらを食べてしまいました。  やがて宴が終わるころ、SF作家が種明かしをしました。

「さっき君らが食ったんは、じつは豚肉やったんやでぇ」

その瞬間、彼らは顔面蒼白になり、嘔吐しはじめました。やがて全身の痙攣が始まり、呼吸困難になり、顔面は真っ青……。

救急車を呼ばねばならなくなるし、警察官が来て尋問を受けることになるし、すんでのところで逮捕されそうになったといいます。

嗜好品文化研究会

思わず人間の肉を食べさせられた時の、人の反応に似ていると思ってしまった。

まとめ

これらのエピソードからイスラム教徒が如何に豚という存在に対して、激しい拒否反応を持っているかが分かる。

もちろん厳格なイスラム教徒と、比較的ゆるいイスラム圏のイスラム教徒ではその強さに違いがあるだろう。

また、個人差によるとことも大きいだろう。

厳格な地域のイスラム教徒が、

「アラーも見てはいないよ」「郷に行っては郷に従え」などととうそぶきながら、平然と豚肉を口にする光景も幾度となく目にしたことがある。

しかし、多くのイスラム教徒にとって、豚は悪の権化以外の何物でもない。

エジプト留学中に何度も「本当に日本人は豚を食べるのか?」と聞かれ、うなずく私を見て目の色を変えるエジプト人にどれ程遭遇したことか。

自分の体験を踏まえて、【イスラムと豚】というテーマは、なかなか興味深い。

何にせよ、世界を見渡してみると、時に我々は宗教の持つ力の大きさを、まざまざと見せ付けられることがある。しかしこうした場合、多くの日本人はそうしたことを積極的に理解しようとはしない。

特に宗教離れが著しい日本の若い世代にとって、宗教の力は想像をはるかに超えるものであり、おいそれとは理解できないものである場合も少なくない。

しかし、積極的に相手の宗教を理解しようとする姿勢なくして、相互文化理解、ひいてはその先にある世界平和の実現がありえないのもまた事実だ。

時として『何もしない』ことは、無罪ではない。

世界平和はそのさえたるものだろう。

怖い怖いと言いながらも、イスラム過激派の暴走を、どこか遠い国の出来事として傍観している多くの日本人の姿が、今の混沌とした世界を作り出すひとつの要因であることを決して忘れてはならない。

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私の家は当時としては珍しく、両親が共働きだった。

母親も第一線でバリバリ働く女性で、稼ぎも一流だったが、専業主婦が当たり前の一般家庭に比べて、遥かに子供と一緒にいる時間のない人だった。

そんな事情もあり、私は半分祖父に育てられた。

大好きだった祖父が亡くなったのは、私が小学生の時だった。

棺の中に横たわる祖父の姿は、ぞっとするほど青白く、不気味で、そこには優しかった祖父の面影はなかった。

弔問に訪れる知らない大人たちと、知らない顔の祖父、斎場の張り詰めた空気の中で、私の体はこわ張り、動くことは元より、うまく呼吸することすら出来なくなっていた。

目から溢れんばかりの涙を溜め、青白い顔でゼェゼェと息をする私を見て、親族の誰かが、耳元でこう呟いた。

初老の喪主男性
親戚
「ほら、色即是空君(私のこと)も孫なんだから、遺族の一員として、しっかりしないとダメだよ。何よりメソメソしてたらおじいちゃんも悲しむよ」

まさに悪魔の一言だった。

まだまだ悲しみをグッとこらえて、遺族は気丈に振る舞うのが日本人の美徳とされた時代。

そうした背景を鑑みれば、特段的外れな発言でもないし、言った本人にも悪気はなかったのだろうが、幼い私にはいささか重すぎた。

悲しみを吐き出す場を失った私は、式が終わるまでの時間、必死で恐怖と悲しみを押し殺し、真顔で耐えるしかなかった。

それは想像を絶するほどの苦痛を私に強いた。

永遠に続くと思われた時間もようやく過ぎ去り、通夜振る舞いが始まった時には、私の頭は何も考えられない状態に追い込まれていた

大人たちが赤ら顔になり、子供の存在など忘れた頃、手持ち無沙汰の私は式場の入り口に立っていた。

中に人の気配を感じて、慌てて引き返そうとすると、その人物が優しく声をかけてくれた。

葬儀スタッフ
葬儀スタッフ
「中に入って良いんだよ」

その声に促され、恐る恐る式場の中に足を踏み入れる。

手招きされるままに棺の前に進むと、その人はゆっくりと棺の蓋を開けてくれた。

葬儀スタッフ
葬儀スタッフ
「聞いたよ。おじいちゃんに随分可愛がってもらったんだってね。おじいちゃん喜んでるよ」

その言葉を聞いて、祖父との思い出が一瞬にして頭の中を駆け巡る

泣いたらダメだ!必死に歯をくいしばる私の姿を見て、その人が微笑む。

葬儀スタッフ
葬儀スタッフ
「悲しい時は泣いて良いんだよ」

その言葉に涙がせきを切ったように溢れ出す。

もう私には溢れ出す涙を止める術は持ち合わせていなかった。

葬儀スタッフ
葬儀スタッフ
「辛かったね。悲しかったね」

その人はそう言いながら、泣きじゃくる私の背中をずっとさすってくれていた。

そうしてしばらく泣いていただろうか。

泣き疲れて涙でぐしゃぐしゃの私の顔をハンカチで優しく拭いてくれた。

その言葉に救われた。

私の悲しみが100%だとしたら、解放されたのはせいぜい5%くらいだったかも知れない。

だが私にとって、それはとてつもなく大きな意味を持つ5%だった

告別式は幼いなりにしっかりと祖父の死と向き合い、自分なりに納得のいく気持ちで祖父を送り出せたと思っている。

釈迦は【生きることは苦しみだ】と説く。

愛別離苦・・・愛する者との別れは、格別に辛いものだ。

しかしどんなに近しい人を亡くして、深い悲しみを背負ったとしても、我々はまた明日から前を向いて生きていかなければならない。

これがまたたまらなく辛い。

そんな中、悲しみに耐えて、気丈に振る舞う日本人特有の美徳を否定するつもりはない。

それが自らが明日から前を向いて生きていくにあたって、最良の道と思うならば、そうすれば良い。

でももし大切な人の死に心が壊れそうになりながらも、じっと耐える遺族がいたら、「泣いても良いんだよ」と優しく声をかけて欲しい。

深い悲しみに耐えきれず、人目もはばからずに泣き崩れている遺族がいたら、どうか温かい目で見守って欲しい。

無くした存在の大きさに絶望して、小部屋でひとり、想いにふける遺族がいたら、そっとしておいてあげて欲しい。

彼らは皆、一様にまた明日らか、前を向いて生きていかなければならないのだから。。。

イスラムの基本理念

【イスラム】とはアラビア語で「委ね」を意味する。委ねる対象は勿論「神(アッラー)」。ちなみに【アッラー】とはアラビア語でズバリ『神』の意。

これは人間の力ではどうにもならない厳しい自然環境で、良くも悪くも人智の及ばない次元での「誰かのせいにしたい」という運命論的思考が働くのは、古今東西、洋の東西を問わず人間という存在の常なのだろう。

しかし、「委ね」にはもうひとつ意味が存在する。それは元来「人間とは怠惰な生き物だ」という、謂わば性悪説に似た考え方だ。だからこそ自由にしてしまっては、堕落の一途をたどる。

そこで神が厳しく管理するというのが、イスラムにおける「委ね」の基本理念だ。神からのメッセージと共に、厳しい神からの管理体制を紹介したい。

五行

イスラム教徒(ムスリム/モスリム)が守るべき、最も重要な5つの行いを【五行】という。具体的には下記の5つの行いを指す。

信仰告白(シャハーダ)

「アッラーの他に神はなし、ムハンマドはアッラーの使徒である」

イスラム教徒(ムスリム)になる場合、「敬虔かつ公正な男性イスラーム教徒」2人の前で信仰告白を唱えれば、その瞬間からムスリムとして認められる。

教会に赴き神父(牧師)から洗礼を受けるキリスト教や、僧侶から戒を授かる(授戒)仏教に比べて簡素。キリスト教における洗礼名や、仏教における戒名に当たる特別な名前も無い。

人が何かを信じることはごく自然なことであり、その証明に特別な儀式や面倒な手続きなど、不必要というメッセージだろうか。

礼拝(サラート)

1日5回メッカに向かっての礼拝義務。

  1. 夜明け(起床)
  2. 夜明け後(仕事前や午前中のブレイクタイム)
  3. 昼(昼休み)
  4. 日没(仕事終わり)
  5. 夜(就寝前)

ここまで書けば、何かにお気付きだろうか?

目覚まし代わりの1発目から始まる礼拝は、神の定めた、ある種のタイムスケジュールだ。純粋に神への信仰心を示す為の行為の裏には「規則正しい生活をせよ」との神からのメッセージが込められている。

金曜日(イスラム教の祝日)は少なくとも1回はモスクに出向き、皆と共に礼拝することが良しとされる。

地域内でのコミュニケーションを活性化させ、結束力を高めよとのメッセージなのだが、今日の日本人にとっては何とも耳が痛い。

喜捨(ザカート)

裕福な者が貧しい者へ行う寄付・喜捨・施し。

現在では「ザカート」を一定の財産にかかる財産税(救貧税)、「サダカ」を自由喜捨と呼んで区別しているが、元々はどちらも自主的な喜捨を表す。

共同体としての性質の強いイスラム世界が生み出した、社会福祉システムが、この喜捨制度。そこには富や成功とは(神の意思による)周囲の協力があってはじめて得られるものとの考えがある。

故に「周囲に感謝し、他の人々を気遣う心を忘るべからず」という神のメッセージがある。人間はひとりでは何も出来ないということだ。

断食(サウム)

イスラム暦(ヒジュラ)の第9番目の月(ラマダーン)の1ヶ月間、日の出から日没までの間、飲食・喫煙・性交の禁止。

ヒジュラは太陰暦の為、その年によって時期は異なる。

唾液を飲みことは禁止されているわけではないが、敬虔なイスラム教徒の男性は、唾すら飲まない。

  1. ある程度腹を空腹にすることで、節度とバランスを保った生活環境を構築する。
  2. 体を休める。
  3. 食べ物の有り難みを知る。
  4. 思考を活性化させる。
断食期間中は日没後に家族や親戚・友人を招いて一緒に食事を摂る。大勢での食事はタダでさえ美味しいものだが、大変な空腹時となれば尚更だ。

食を断つというイメージが強いが、その他にも騙す・暴力・喧嘩・邪な考えを巡らす等の良くない行ないを断ち、寄付やその他多くの善行に励むことが求められる。

  1. 自らの行いを省みて品格を高める。
  2. 今までの罪を洗い浄める。
  3. 自らが苦しみを体験することで、他人の痛みや苦しみを知る。
  4. 社会の連帯感を高め、弱者を救済する。

上記の事柄を目的とした謂わば「精算・浄化・再生」の期間だ。

小さな子供、妊婦、老人、病人、旅行者、重労働者、戦争中の兵士等、正当な理由のある人間は免除されており、柔軟性は比較的高い。(出来る限りにおいては、諸事情が解決した後、やり直す事が求められる。)

うっかり食べてしまったらどうだろうか?

答えは問題にはならない。

また、生命に関わる薬の投薬等は禁止されていない。

昼夜を通した断食や、ラマダン月以外の月も断食を行うことは、原則禁じられている。身体を激しく痛めつけることを目的としていないからだ。

「いつもいつも好きな物食って、やりたい放題しながら生きてるんだから、1年にひと月くらい我慢というものをしてみろ!」

「空腹で活性化した頭で自らの行いを省み、行動を改め、そしてその証として他人の為に善行をしてみろ!」

暴飲暴食で酷使した体を休め、貧しい人を思いを、自らは食べられることに、ひいては生きていることに感謝しろ!」

「家族やなかなか会えない親戚・知人を招き食事を共にしろ!彼らに感謝し、人と人との親交を深めろ!」

これが神からのメッセージだ。

巡礼(ハッジ)

一生に一度イスラム最大の聖地メッカ(マッカ)にあるカアバ神殿へ巡礼する行ない。イスラムへの忠誠心をより強固なものにする目的があり、イスラム暦(ヒジュラ)の第12番目の月の8日~10日を中心に行われる。

他の五行と違い、経済的・体力的に可能な人間だけが行えば良いとされており、必ずしも強制ではない。

ハッジを完遂した者は、イスラム社会で大きな尊敬を集めていたが、近年は経済・交通手段の発達により、メッカから遠く離れた地域のムスリムにとっても、ハッジは一般的な行ないとなりつつある。

義務ではないが、イスラム教第2の聖地メディナ(マディーナ)の「預言者のモスク」(ムハンマドの墓)にも詣でることが通例となっている。

ハッジはムスリムにとっての夢であり、人生におけるひとつの大きな目的となっている。イスラムへの信仰心を強大なものにさせ、イスラム社会の連帯を構築する為の大きな役割を担っている。

それでは裏に隠された神からのメッセージとは?

今でこそ旅行は一般的な娯楽となりつつあるが、昔は旅行など庶民にとっては夢のまた夢だった。

その旅行に大義名分を与えたのがハッジだ。タダでさえ娯楽の少ない時代。毎日毎日働き詰めの中、人生そのものに夢や希望を与えるのに大いに役立ったはずだ。

つまり一生に一度くらいは最大級の娯楽である旅行を楽しみ、同時に幅広い見識と高い信仰心を得よ!というのが神からのメッセージだ。

六信

ムスリムが信じるべき六つの事柄についても、簡単に示しておく。五行と合わせて「六信五行」と呼ばれ、イスラムの根幹を支えている。

  1. 唯一神「アッラー」
  2. 天使
  3. 啓典(イスラムの聖典コーランなどの4つの啓示書物)
  4. 使徒・預言者
  5. 来世
  6. 定命(この世の森羅万象は全て神の意思により定められる)

まとめ

如何だっただろうか?

厳しい戒律の裏に隠された、意外な真実を知ると、少しだけイスラム教に興味が湧いてきはしないだろうか?

いずれにせよ原理主義を声高に唱える一部の過激派によって、「イスラム=テロ」のイメージが定着してしまったが、殆どのイスラム教徒は、蛮行など望んでいない。

厳格な神の管理下のもと、心から世界の平和を願って暮らしている。

アメリカをはじめとする西洋諸国のプロパガンダに乗っかって、「イスラム=敵」という極端な思考に走ることは、待っていただきたい。

少しでもイスラムを身近に感じ、お互いが理解し合うことで、混沌とした世界に平和が訪れることを願って止まない。

自死(自殺)遺族から寄せられた、メッセージをご紹介いたします。

どのメッセージにも、綴られていたのは、激しい後悔の念。

遺された者たちの心の叫びをお聞きいただき、少しでも自ら命を絶つ人間がいなくなることを祈ってやまない。

自死(自殺)遺族からのメッセージ

消せないトラウマ


父が遺書を家に置いて、携帯電話も持たずに失踪しました。
家族総出で探したところ、近くの川の土手で父を発見しました。木にロープをくくりつけて、首を吊っていました。
まさか家族の自殺の第一発見者になると思いませんでした。
元々は明るい性格だったのですが、知人との金銭トラブルがあってからは情緒不安定なようでした。

家族でもっと支えてあげればよかったと後悔しています。

あの光景は忘れたくても忘れられません。

兄は自殺して幸せだったのかもしれない


私が27歳の時、兄が自殺で亡くなりました。20代でした。
当時私は実家から2時間ぐらいの都市で一人暮らしをしていましたが、兄は実家暮らしであり、その当時も定職につかず家でニート生活をしていました。いわゆる子供部屋おじさんの状態だったのです。
兄はこれを思い悩んだのか自殺してしまいました。兄が自殺したことにすごくショックを受けましたし、何かしてやれることはなかったのかと後悔しています。
しかしながらその一方で、少し安堵している自分もあったのです。
というのは私は当時の兄の気持ちが少しわかります。
自殺に対しては否定的ですが、やむを得ないという事情もあったのだと思います。仕事を探しても見つからないという当時の状況から見て、自殺したくなるのも致し方ないと思うのであります。

父は死ぬだろうと知っていた


父が死ぬのは心のどこかで分かっていました。それなのに、自殺を止められなかった当時の私のことは今でも許せません。自死時の年齢は40代。
母と別居し、仕事も上手くいかなくなった父。たまに会う時間を設けても、以前の頼もしい背中はなく・・・
人は誰かに頼りにされないと、生きている力がなくなるんだと実感しました。
あの時私が「お父さんは私にとって大切だ!」と心から伝えていれば、今でも父は生きていたかもしれません。
自殺した日は、私や母の仕事が休みの日。最後の最後まで人に迷惑をかけないように、気を使っていたんだと思うと、胸が苦しくなります。

『弟へ。気づけなくてごめんね。』


3年程前のことになります。
私はもうすでに実家を出て、東京で一人暮らし。弟はちょうど大学受験を控えていました。

「センター試験とかで東京行くときは泊めてね!」などと電話で調子よく笑っていたのが最期に聞いた声になりました。

試験の前日に部屋で首を吊っていたそうです。10代の若さでした。

東京へ行くために準備したカバンの上に手紙が。

「早く死んでごめんなさい。ごめんなさい。」と書かれていたそうです。

受験が苦しかったのかもしれない。

誰も気づけなくてごめんなさい。

もっと実家に帰って話を聞いてあげればよかった。

親に話せなくても姉弟なら話せたのかもしれない。

理由のない苦しさを抱えていたのかもしれない。

もうわかることのない「かもしれない」がずっと頭をめぐりました。

いや、今も、「もしかしたら」「かもしれない」たらればばかりが頭をめぐります。

後悔してもしきれない思い


私のおばさんは2年前に自殺しました。
元々、アルコール中毒でお酒を飲む毎日でしたので、心配はしていたのですが、うつ病を持っていたのであまり強くは注意できませんでした。
ある日、母親から泣きながら電話が来ておばさんが首をつっていると聞きました。すぐさま病院に行きましたがもうすでに手遅れでした。
私は小さい頃、よくおばさんに可愛がってもらっていたので、当時の思い出が頭を離れません。
何かの悩みがあるなら、もっと話を聞いてあげればよかったと後悔の毎日です。

Instagram(自然)

珍しい菊が見れると言うので、出入りの花屋さんに連れられて市場へ。

根から着色料を吸わせ、レインボーカラーに仕上げた特許取得の菊だそうです。

素晴らしいですね!

でも・・・ちょっと葬儀には向かないかなぁ・・・

史上最悪の水難ランキング

河川の氾濫や台風などによって引き起こされる水害や洪水。

その後も大規模な飢饉などにつながり、甚大な損害を与える自然災害だが、津波を含む水害被害特集。

ワースト1位

1931年中国大洪水

発生日時 1931年7月~11月(川により異なる)
中心的な被災地 中国(黄河・長江・淮河流域)
死者 14万5,000人~400万人
原因 台風・冬の嵐・雪解け水

純粋な自然災害としては20世紀最悪の自然災害。

1928年から1930年まで続いた干ばつの後にやって来た冬の嵐、豪雨、春の雪解け水、異常な数の台風襲来などにより川の水位が上昇、大洪水を引き起こした。

洪水自体による死者はもちろんのこと、飢餓や衛生環境の悪化から水媒介性感染症(チフス・コレラ)の蔓延などにより数百万人が死亡したとされる。

また、人肉食いや身内による人身売買なども横行した。

中国では死者を14万5千人としているが、西側諸国は370万人から400万人としている。

災害に対する中国の隠蔽体質は公然の秘密であり、少なくとも数百万単位で死者が出ている現実は間違いないだろう。

1931年中国大洪水 – Wikipedia

ワースト2位

1887年の黄河洪水

発生日時 1887年
中心的な被災地 中国(黄河流域)
死者 90万人~200万人
原因 暴雨

激しい暴雨による黄河の氾濫が起こした大洪水。河の標高が高いため、周囲の平地に洪水を起こし易い傾向にある。

この洪水により発生した疫病により、死者は倍増した。死者は900,000~2,000,000人言われているが、信ぴょう性は低いものの一説には600万人とも言われる。

これが事実なら1931年の中国大洪水を抜いて、この自然災害が史上最悪の天災となる。

1887年黄河洪水 – Wikipedia

ワースト3位

台風ニーナによる板橋ダム決壊事故

発生日時 1975年7月30日~8月6日
中心的な被災地 中国(河南省)
死者 22万9,000人
原因 台風(ニーナ)

台風3号(ニーナ)の影響で、湖南省一帯は一日の雨量が1,060ミリという、記録的な豪雨に襲われた。

河川が増水し、巨大な板橋(ばんきょう)ダムを含む大小62のダムが連鎖的に決壊。26,000人の溺死者を出した。さらにその後の堤防の決壊などで60,000人が死亡。最終的な死亡者は200,000人を超えた。

これだけなら事故というよりは天災だが、実はこれらのダムは「大躍進政策」により、突貫工事で作られた欠陥だらけのダムだった。また、放水設備が殆ど無いなど、設計そのものにも大きな問題があり、その危うさは専門家の間では周知の事実だった。

専門家によるたび重なる忠告を政府が完全に黙殺した結果、このよう大惨事へとが発展してしまった。

更に政府は一連の事態を一切報道しないよう、厳しい報道規制を引いていたことが近年になり明らかになった。

板橋ダムは中国第三の川、淮河(わいが)の治水を目的として作られたダムで、崩壊後の食糧難や飢饉でさらに数十万人が死亡した。

板橋ダム決壊事故 – Wikipedia

ワースト4位

2004年スマトラ島沖地震

発生日時 2004年12月26日
中心的な被災地 インドネシア・インド・スリランカ・タイなど
死者 22万6,000人
原因 地震による津波

巨大地震はインドネシアアチェ特別州などに建物倒壊などによる被害をもたらしたが、未曾有の災害は地震によって発生した津波によりもたらされた。

津波の被害に遭遇したことのないインドネシアはもちろん、インド洋周辺の国々は津波に遭遇した歴史に乏しく、殆ど対策を講じなかった。

この為、10mから30m以上の津波が押し寄せたインド洋沿岸の国々(インドネシア・インド・スリランカ・タイなど)は甚大な被害を出すことになった。

また、年末年始の旅行シーズンだった為、白人を中心とする観光客にも大きな被害が出た。日本人も40人以上が死亡した。

被害の殆どは津波によるものだが、津波による自然災害としてはクレタ島地震に次いで最悪の災害。

スマトラ島沖地震 (2004年) – Wikipedia

ワースト5位

1935年長江の大洪水

発生日時 1935年7月3日
中心的な被災地 中国(三峡【重慶市から湖北省までの193km】)
死者 14万2,000人~14万5,000人
原因 暴雨

7月3日~7日の五日間に2回の猛烈な暴雨を含む1,000mm以上の降水量を記録。6月の梅雨も例年より長かったこともあり、湖北省を中心に大洪水が発生。田畑・家畜・家など跡形もなく流されたとの記述がある。

この洪水により腐ったバナナを通じて疫病が発生。33,000人の死者を加え、142,000~145,000人が死亡したとされるが、脱水や飢えによる餓死者、結核や皮膚炎、マラリア、レプトスピラ症などの蔓延、仕事が見つからないことから自殺の増加など、中国に深刻な後遺症を残した。

1887年黄河洪水 – Wikipedia

ワースト6位

聖フェリックスの洪水

発生日時 1530年11月5日(土曜日)
中心的な被災地 オランダ・フランドル・ゼーランド
死者 10万人~12万人
原因

嵐により一度に大量の降雨を記録。水が地面に吸収されるより遥かに早く大量の雨が降ったために引き起こされた洪水。フランドルなどを中心に18の村が跡形もなく流された。

オランダは土地柄洪水の多い国だが、同国でも最悪の被害を出した洪水で、以後「悪魔の土曜日」と呼ばれた。

聖フェリックスの洪水
ワースト7位

ハノイ市及びレッドリバーデルタ大洪水

発生日時 1971年
中心的な被災地 ベトナム(ハノイ)
死者 10万人以上
原因 豪雨

ベトナム戦争中にハノイを襲った大洪水。連続的な豪雨はそれほど標高の高くないハノイを容赦なく襲い、収穫物等にも甚大な被害を与えた。

10万以上の人が亡くなったが、戦争のために、被害が倍増したと言われている。

その後ダム作りなど懸命な治水工事が進められているが、今だにこに地域は水害に対して十分な備えは持っていない。

ワースト8位

1911年の長江洪水

発生日時 1911年
中心的な被災地 中国(長江流域)
死者 10万人
原因  

長江流域は人口密度が高く、被害を拡大させた。

3,750,000人が家を失い、1,000,000人が命を落とした。

ワースト9位

聖ルシア(ルチア)の洪水

発生日時 1287年12月14日
中心的な被災地 オランダ・北ドイツ
死者 5万人~8万人
原因 高潮

満潮時に嵐が重なったことで起きた高潮による洪水。ドイツの文献はドイツだけで50,000人が死亡し、多くの村が永遠に北海に消えたと記されている。

ワースト10位

1212年北海洪水

発生日時 1212年
中心的な被災地 オランダ(ホランド)
死者 6万人
原因 長雨

6月に始まった霧状の雨は、11月まで続き、オランダはもちろんイギリスにまで洪水による影響を与えた。多くの建物が崩壊し、60,000人の命、莫大な資産が水の泡と消えた。

この後オランダは復興に2年以上を費やすことになる。

ワースト11位

聖マーセラスの洪水

発生日時 1219年1月16日
中心的な被災地 オランダ・ドイツ
死者 3万6,000人
原因 高潮

北海には満潮時に嵐の影響を受けて、巨大な高波が発生する「嵐の潮」が存在するが、この高潮が度々洪水を起こす原因となる。

1362年1月16-17日にかけても25,000人以上の死者を出す洪水を起こしている。(第二聖 マーセラスの洪水)

聖マーセラスはローマ帝国時代の教皇で、1月16日が彼の聖人の日に認定されている。

聖マーセラスの洪水

番外編

尚、自然災害ではないので除外してあるが、人間が起こした意図的な洪水としては、下記の2件の被害が大きい。

黄河決壊事件(1937年)

発生日時 1938年6月
中心的な被災地 中国(河南省・安徽省・江蘇省)
死者 100万
原因 中国国民党軍による堤防破壊

日中戦争の最中に、中国国民党が日本軍の進軍を阻止するために意図的に引き起こした洪水。水死者は100万人、被害者は600万人。

日本軍が百数十席の船を用いて、懸命の救助活動や堤防の修復作業を行ったが、そうしたことがなければ、被害はもっと大規模なものになっていた。

軍による環境破壊行動としては、最大にして最悪の災害。

(黄河決壊事件 日本軍による救助活動)

黄河決壊事件 – Wikipedia

開封市洪水

発生日時 1642年
中心的な被災地 中国(開封市)
死者 30万人
原因 軍による環境破壊

農民の反乱を抑えるために意図的に軍が起こした洪水。洪水とその後の飢饉や疫病により300,000人以上が死亡した。

腹筋崩壊必死のパクリブランド名

世界には実に多くのパクリブランドが存在します。

精巧に作られた偽物を本物として販売するのは論外ですが、誰が見ても偽物を偽物として販売しているのを見るのは案外楽しいものです。(もちろん法律的にはNGなんでしょうが・・・)

私が海外で見てきた愛すべきパロディブランド商品を中心にまとめてみました。

フランク三浦

フランク三浦

本家はFRANCK MULLER(フランクミュラー)

まずは日本でも一大センセーショナルを巻き起こした、こちらの商品から。

本家はもちろんスイスの高級時計メーカー、FRANCK MULLER(フランクミュラー)。

三浦と言ったら三浦マイルドが真っ先に頭に浮かんでしまいましたが、どっちにしても個人的に「ツボ」なんですよね。

一言で言えば「欲しい!」

ROLEXS(ロレックス)

ROLEXS(ロレックス)

本家はROLEX(ロレックス)

中国の裏路地で売られていた時計。

もちろん本物はかの有名なROLEX(ロレックス)。

最後の『S』はホンモノのロレックスの技術の粋をいくつも集約したという意味の『S』で、とにかく素晴らしい出来栄えがどうのとかあれこれ語ってたけど、どう見たって程度の低いパチモンやろが!

一応読み方はROLEXS(ロレックス)と読むらしい。

まぁ、三単現のSか何かなんだろうね・・・

OMYGA(オーマイガー)

OMYGA(オーマイガー)

本家はOMEGA(オメガ)

こちらも中国の裏路地で売られていた時計。

本家は世界的に人気の高いOMEGA(オメガ)。

ちなみに読み方はオメガならぬ、オーマイガー!(OMYGA)

こんな商品買わされたら、こっちがオーマイガー!ですよ。

LA DO(ラ ドー)

LA DO(ラ ドー)

本家はRADO(ラドー)

中国の裏路地で売られていた時計第三弾。

本家はスイスの人気メーカー、RADO(ラドー)。

「L」と「R」が違うのはこの手のパロディ商品の定番ですが、よく見ると「RA」と「DO」の間に微妙な空間が。

その空間に言葉では決して語りきれない、人生の機微がギュッと凝縮された一品。

ってやかましわー!!!

TOYODA(トヨダ)

TOYODA(トヨダ)

本家はTOYOTAとHONDA

ベトナムで見かけたキーホルダー。

トヨタとホンダのマークがガッチリ溶接された、それはそれは世にも奇妙なキーホルダーだった。

四輪で絶大な人気を誇るTOYOTAと、二輪で絶大な人気を誇るHONDAが合体したら、文字通り【最強】という思いを込めて、作成したのだとか・・・

よけーなお世話だよ!

店員に「日本人なら絶対買うべきだ!」って言われて取り敢えず買ったけど、すぐに溶接部分からポッキリ真っ二つに。

一瞬でただのトヨタとホンダのパチモノのキーホルダーになりました・・・

パッカーン!au by KDDI

ZONY(ゾニー)

ZONY(ゾニー)

本家はSONY

エジプトで売られていたカセットウォークマンのロゴ。

その名も「ゾニィ」。なんだか急にワルい感じのイメージが。

店員が「ジャパニーズ ナンバーワン ブランド、ベリーグー」ってやたら叫んでたけど、そんなブランド日本には、ねぇーんだよ!!!

グリーンだよ!!!

よけーなお世話だよ!!!

Muc(ムック)

Muc(ムック)

本家はMac(マック)

インドの古びたインタネットショップで見つけたパソコン。

ロゴが消えたボロボロのパソコンには、店主自らテプラで貼り付けたと思われる「Muc」の文字が。

いつモジャモジャの毛が生えてくるのかとヒヤヒヤだった(ウソ)

使用しなかったのでメーカーは確認できなかったが、そもそもそのパソコン、ホントにMac製品?

それとも 『ZONY』製?

NIKU(ナイク)

NIKU(ナイク)

本家はNIKI(ナイキ)

昔日本で流行ったパロディブランド。「ニク」と読んでしまったが、正しい読み方はナイクらいし。

名前を読み間違えて、何故かパチモン屋の店員に怒られてしまった・・・

一寸の虫にも五分の魂。

偽ブランドにも少々のプライドがあったらしい。

ってかパチモン売ってるくせに、偉そうにすなやー!!!

HELLMES(ヘルメス)

HELLMES(ヘルメス)

本家はHERMES(エルメス)

タイで見つけたネクタイの箱に印刷されていたロゴ。

エルメスは創始者の名前がブランド名の由来ですが、よく見るとスペルが地獄(HELL)に。。。

ブランドのロゴは正しく書かないとエルメスさんに怒られるよ!って言いたいけど、それは一番やっちゃダメなヤツだよね・・・

CHANNEL(チャンネル)

CHANNEL(チャンネル)

本家はCHANEL(シャネル)

偽ブランドを象徴するブランドのひとつ。

昔はこのブランドのTシャツを誇らしげに着たおばちゃんたちが、どこの地域にも一定数存在した。

おばちゃんの太目に体型で、ロゴもびよ~ん。

色々なものがユルい時代だった。

CUCCI(クッチ)

CUCCI(クッチ)

本家はGUCCI(グッチ)

エジプトのアレキサンドリアで見つけたサングラスに書かれていたロゴ。

グッチならぬCUCCI(クッチ)。

響きからして小物感ハンパない。。。

でも「アントキの猪木」ばりに、これはこれでそれなりの市民権は得てるんじゃないかというくらい、偽ブランドロゴの定番。

どうしても気になるなら、『C』の下にちょっと書き足しちゃいましょうwww

BULGARI(ブルガリ)

BULGARI(ブルガリ)

本家はBVRGARI(ブルガリ)

どこで見たのかは忘れましたが、クッチと同じく、10人いたら2.3人は最後まで気付かないんじゃないかってくらい、イヤラしい寄せ方の偽ブランドロゴ。

日本人からしたらどっちのスペルでも発音は同じ「ブルガリ」だよ! 

LOUIS VUITTOON(ルイ・ヴィトーン)

LOUIS VUITTOON(ルイ・ヴィトーン)

本家はLUIS VUITTON(ルイヴィトン)

どこで見たのかは忘れましたが、強烈に印象に残っているハンカチのロゴ。

やっぱりルイ・ヴィトーンって読むんでしょうね?

ぱっと見良くできたモノグラム柄のハンカチなんだけど、よく見るとダビデの星とか入っていて、ドン引きした記憶が。。。

FENDL(フェンディル)

FENDL(フェンディル)

本家はFENDI(フェンディ)

タイのマーケットで見つけた財布の箱に書かれたロゴはフェンディル?

しかも「L」が限りなく「I」に近い「L」で、とてつもなくやらしい。

店の番をしていた頭の悪そうな兄ちゃんは最後まで本物だと言い張っていたけど、ひょっとすると彼もまた犠牲者なのかも知れない。。。

ドンマイ!

PRARADA-プララダ

本家はPRADA(プラダ)

本家はPRADA(プラダ)

カンボジアのシェムリアップ(アンコールワット)で売っていたサングラス。

PRARADA

プララダ?

もうここまでくると似せようとしているのかすら怪しい偽のブランドロゴ。

でも・・・

何か楽しそうだよね笑

GK(ジーケー)

GK(ジーケー)

本家はCK(カルバンクライン)

サハラ砂漠のロードショップに売っていた帽子。ど真ん中にデカデカとGKの文字が。

カルバンクラインのパチモノっていうより、ゴールキーパー専用キャップ!?

オリバーカーン(元ドイツ代表ゴールキーパー)にでも被せとけ!

win win(ウィン ウィン)

win win(ウィン ウィン)

本家はmiu miu(ミュウミュウ)

プラダのセカンドブランドmiu miu のロゴを逆さまにしたデザイン。

分かりづれーし!

バックとかなら逆さまに持てばそれなりにイケるかも?

まぁどう頑張っってもウィン・ウィンの関係にはならないと思うけど・・・

ゆに黒(ユニクロ)

【世界のパロディ商品】思わず拍手!?秀逸なコピー(偽)ブランド商品ロゴマーク

本家はUNIQLO

日本が世界に誇るファストファッションブランドも、アメリカの路地裏の住人にかかれば、こんな感じ。

このブランドのロゴが付いたフリースやヒートテックがあったとしても、絶対に買ってはいけません!

何故なら絶対に温かくありませんから!

皆さんももしも世界で面白いパロディブランドロゴを見つけたら、是非教えてくださいね。

自死(自殺)遺族から寄せられた、メッセージをご紹介いたします。

どのメッセージにも、綴られていたのは、激しい後悔の念。

遺された者たちの心の叫びをお聞きいただき、少しでも自ら命を絶つ人間がいなくなることを祈ってやまない。

自死(自殺)遺族からのメッセージ

母の死を受け入れられなかった父


私の父が自死を選びました。50代でした。
母はその数年前に突然の病でこの世を去りました。母のことが大好きだった父。
落ち込んでいるのは見ていてわかっていました。後から知ったのですが、母の死後からずっとうつ病を患い苦しんでいた様です。

他県に嫁いでしまった私も月一回は実家に帰ったり、旅行好きの父と二人で遠出したり、私なりに父の心のケアをしているつもりでしたが、ずっとうつ病で苦しんでいたなんて知りませんでした。

父には申し訳ない気持ちでいっぱいです。あんなに真面目で家族思いで誠実な父がそんな最期を選ぶなんて。

そんな最後を選ばせてしまったことを後悔しています。

夫を死にやったたった一言


5年ほど前、私は主人を亡くしました。死因は練炭自殺でした。
彼はその日病院へ行き、帰ってきた途端私に初めて喧嘩を売ってきました。彼の言葉で頭に来た私は『もう離婚する!』と叫びました。すると彼が肩を落として、玄関から出て行こうとしました。
私は頭に来て『もういい!私も出掛けてくる!』と言い、先に出た彼を追い越して外に出ました。すると彼が追いかけて来ましたが、頭に血が上った私は彼を振り切り車で家を後にしました。

それから彼と連絡も取れなくなりました。捜索願も出しましたが、出て行った日から1ヶ月余りが経とうとした日に警察から連絡がありました・・・

『見つかった。それから・・・亡くなっています』と。

彼と再会した時には、死後1週間は経っていました。冬場だったので腐敗はしてませんでしたが、顔が少しだけ変わっていました。

未だにあの時もっと向き合っていればと、私の中には後悔しかありません。

会社に殺された弟


私の兄は5年前に自死という選択をしてしまいました。
なぜ兄がここまで追い詰められてしまったのかというと、会社でのパワハラと過度な残業によって精神を追いつめられ、退職という正しい判断も出来なくなってしまう程、参っていたからです。
兄からは何の相談もなかったとは言え、変化に気づいてあげられなかった。自分は本当にダメな奴だと思っています。後悔してもしきれません。

それと同時に何か嫌なことがあってもなくても、日常会話を交わすということは大切なんだと実感しました。もっと会話の機会を増やしておけば、思い出も増やせただろうし、兄は自死を思いとどまっていたかもしれません。

今現在は私も少しだけ前を向いて生きていける様になりましたが、家族との会話を大切にするようになりました。

父の自殺・・・自分を責め続けた私


私の父が自殺したのは、私が小学六年生(12歳)で、修学旅行に行っている最中でした。
帰ってからその報せを聞かされた時のことは、あまり覚えていません。頭がただただ真っ白で涙も出ませんでした。
父が自殺する前、修学旅行の準備の最中に私は父にワガママを言いました。大人になった今では、そんなことはないとわかるのですが、その時は子供心に、自分がワガママを言ったせいで父が死んでしまったに違いないと、責めていました。理由をつけて自分を責めなければ、精神のバランスを保てなかったのだと思います。

けれど今でも思うのは、もっと父のためにできたこともあったのではないかと、当時とは違った理由で、自分を責め続けています。大人になった自分の姿を父に見てもらいたかったと、後悔ばかりが先に立ちます。

従兄弟を救えなかった勇気のない私


血縁者の自殺は、その人の「悩み」をわかってあげられなかったことに、反省が残る。
従兄弟は(慢性)白血病で苦しんでいました。彼の母も慢性白血病で一命を落としました。
彼は地元関西から上京し、家庭のため働いたのですが、ある時彼は僕に「怖い」と相談してきました。この病気は京都府立医大で治癒できる病気なのですが、『なぜ関西に戻って、治る病院で治癒しないの?』これが言えませんでした。

子供の時から年下の私をかわいがってくれた、私の大好きな彼は、50歳代で自ら命を散らしてしまいました。

アドバイスしてあげられなかった。年を重ねると、「そういうこと」が”言いにくく”なる。

いとこの命、助けてあげられたのに、つまらないためらいで救えなかった。今でも後悔が消えません。

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