阪神大震災25年 「天国でも仲良く」 英語好き長男と豪人留学生の冥福祈る夫妻

本当の兄弟のように仲の良かった2人はあの日、志半ばでともに逝った。

神戸市兵庫区の松浦潔さん(66)は、25年前の阪神大震災で高校1年の長男、誠さん=当時(16)=と、ホームステイ中のオーストラリア人留学生、スコット・ネス・マシューさん=同(24)=を亡くした。

震災後、2人の命の重みを感じながら被災者支援などを精力的に続けてきた。「天国でも2人仲良く笑っていてほしい」。この日、妻の美佐子さん(67)と東遊園地で静かに祈った。

25年前の平成7年1月17日早朝、大きな揺れとともに家族ら6人の住む兵庫区の3階建て自宅が崩れ落ちた。2階で寝ていた誠さんとスコットさんの姿が見えなかった。

トントン、トントン…。がれきに挟まれていた誠さんが、助けを呼ぶようにベッドの横板を手でたたいた。潔さんは何度もがれきの中に入り、誠さんの両足を引っ張った。だが、がれきの重さで全く動かなかった。

次第に誠さんの両足は冷たくなり、ついに手でたたく音も聞こえなくなった。「ごめんな。助けてあげられなくて」。スコットさんの遺体もがれきの下から見つかり、悔しくて涙が止まらなかった。

社交的で明るく、誰とでもすぐに仲良くなった誠さん。中学時代に自校の英語講師だったスコットさんと出会い、英語の魅力にのめり込んだ。スコットさんも日本での就職を目指し、日本語の勉強に励んでいた。

2人はすぐに意気投合。英語と日本語をそれぞれ教え合い、語学力を向上させた。誠さんの高校進学後も交流は続き、震災前年の10月、スコットさんは潔さん宅でホームステイを始めた。「英語の弁論大会で優勝したよ」。うれしそうに報告する息子の声が今でも忘れられない。

震災後しばらくは長男の死を受け入れることができなかった。「なんで自分の息子だけ」。やり場のない怒りで胸が張り裂けそうだった。しかし、震災から3年がたった頃、同じように長男を亡くした父親との交流が転機となった。

「つらいのは自分だけやなかったんやな」。息子と同じように6千人以上のかけがえのない命が奪われ、それぞれの家族に苦しみがあることを実感した。

遺族との交流を通じ、次第に前を向けるようになった。「震災を風化させたらあかん」と16年、NPO法人「阪神淡路大震災1・17希望の灯(あか)り(HANDS)」の理事長に就任。震災慰霊碑を巡る「震災モニュメント交流ウォーク」を開催するなど精力的に活動してきた。理事長を退いた現在も、小学校で震災の記憶を語り継ぐなど命の尊さを訴えている。

今でも脳裏に浮かぶのは、大好きな英語を勉強していた長男の姿。「どんなに時がたっても、あの日を忘れたことは一度もない」。わが子を失った悲しみを感じれば感じるほど、他の家族だったスコットさんの命を「奪った」という思いにも苦しめられる。

震災後、来日したスコットさんの両親に謝罪した。「あなたのせいじゃないよ」と優しく告げてくれた。涙があふれてきた。潔さんは息子の遺志を継いで英語の勉強を始め、25年たった今もスコットさんの家族と交流を続けている。

あの日と同じ時刻、2人の冥福を祈って手を合わせた。「2人は今も家族の交流が続いていることに喜んでいるんじゃないか。私の英語力に関しては笑っているかもしれないけど」。潔さんはそう言ってはにかみ、2人の名が刻まれた銘板に手を添えた。

産経新聞

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