【赤羽線の歴史】埼京線が赤羽線と呼ばれていた頃・・・

  • 2019年6月6日
  • 2019年9月22日
  • 雑談

年を重ねるということ

少し前のこと。

ひょんなことから、とある会社の新入社員さんと1日仕事をする機会があった。

待ち合わせ場所は早朝の池袋駅。

一足先に池袋駅に降り、待ち合わせのカフェで時間を潰していると、新人さんが今にも死にそうな顔をしてやって来た。

無理もない。毎度のことながらラッシュ時の埼京線の、あの殺人的な込具合には、辟易させられる。

私は小さい頃からの経験で、慣れっこになってしまったが、群馬出身の新人さんは、ラッシュなど経験したことがないらしい。

「東京は恐ろしい・・・」と心底身震いしながら、呟いていた。

まだ時間も早かった為、しばし休憩することになった。

新人さんから「埼京線って、昔からこんなに混んでるんですかね?」と聞かれたので、

「昔、赤羽線と呼ばれていた頃は、ショボイ電車だったのに・・・」と呟くと、新人さんが目を丸くした。

「えっ?何ですか、その電車?」

そこから昔話が始まった。

意識しているつもりはないのだが、どうも若い人を目の前にすると、昔話に熱が入る。

若い時分はやたらに昔の思い出ばかり老人達を疎ましく思っていたが、私も年を取った証拠だ。

赤羽線の歴史

私が物心ついたばかりの頃は、あの辺りを走る電車といえば、まだ赤羽~池袋間を走る赤羽線の時代。

現在の様な環状運転が1925年から開始されていた山手線などに比べ、埼京線は比較的新しい電車だ。

私たち家族は池袋の住んでいた親戚に会いに行くため、頻繁に利用していた。

幼心に憧れの電車だったことを覚えているが、その後すぐに埼京線に取って代わられてしまった。

大宮止まりだった東北新幹線を上野まで延伸する際に、地元住民とJRが対立。新幹線の線路に新たな在来線を併設することを条件に、双方が合意。

1985年に赤羽~池袋間を走行していた赤羽線、赤羽~大宮間に新設された在来線、大宮~川越間を走行していた川越線が統合され、埼京線が誕生したのだ。

更に言えば私の記憶では、埼京線が本格的に混み始めたのは、埼京線が新宿まで延伸され、1990年に東京都庁がそれまでの丸の内から、現在の西新宿に完全移転してから。

これを機に殺人的な混み具合を誇る電車になったような気がする。

昔話はこの辺にしておくが、新人さんにとっては全く未知の世界。

22歳の彼からすれば、都庁と言ったらあの都庁しかない。「あれ以外の都庁」と言われても、宇宙人の会話みたいなもので、全くもってピンと来ないらしい。

同様に埼京線は、生まれた時から埼京線だ。多少大げさに言わせてもらえば、はるか昔からある電車なのだ。

「生きるのが大変な時代っだったんですね~」

と胸にグサグサ刺さる発言を飛ばしつつ、鳩が豆鉄砲でも食らったような顔をしながら聞いていた。

昔、私が大学を卒業し、商社に入社した頃のこと。

ある程度すれば、もれなく月の半分は全国各地を出張をしている様な会社だったが、古株の先輩社員から、

「東海道新幹線が無かった時代の出張は、本当に大変だった」という話を聞かされた。

失礼にも「大阪方面へは主に夜行(列車)で?」と聞いてしまい、危うく会社の近くを流れる隅田川に放流されそうになったが、恐らくあの時の先輩社員も同じような心境だったのだろうか・・・

歴史を振り返るというのは実に興味深い。

当たり前だと思っていたことを、いとも当たり前の如くに破壊してくれる。

先人が脈々と積み上げてきたこの国の歴史。

風の前のチリ程の量だったとしても、正真正銘私自身もその一端の担い手。

多少なりとも歴史が語れるようになったのか・・・

そう思えた時、より一層この国が好きになる。

間違いなく肌で感じた歴史を語れるということは、年を重ねる醍醐味だ。

これからも多少若者に煙たがられようが、脈々と続くこの国の歴史の一端を語っていきたい。

なんて、少々大げさな事を考えてみたりする今日この頃なのである。

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