【東日本大震災】3人の子 亡くした母 自責の念「どう生きれば…」

激しい揺れと、巨大な津波に襲われたあの日から、十一日で一カ月。東日本大震災の痛ましい爪痕が残る被災地は復興へ向けて動き始めた。

だが家族や友人を失った悲しみは深く、愛する人を守れなかった自分を責める人も少なくない。現地では心の傷を癒やす取り組みも始まっている。

「左耳が耳鳴りしたり、聞こえないときもあるんです。病院でちゃんと診てもらうべきなんでしょうか」

宮城県石巻市の避難所。巡回診療に来た医師に、遠藤綾子さん(42)が耳の異常を訴える。「せっかく助かった命を大事にしてくださいね」と医師が声を掛けると、遠藤さんは「もう、どうでもいいかなと思うときもある」とつぶやいた。

三月十一日。介護助手の遠藤さんは、勤務先で大きな揺れを感じた。自宅は海岸に近い。中学一年の長女花さん(13)、小学四年の長男侃太(かんた)君(10)、小学二年の次女奏(かな)ちゃん(8つ)や隣家に住む義母(69)が心配だった。

自宅から約五キロの所まで近づいたが、道路の水が腰の高さに達し、市役所に避難した。花さんと義母、夫伸一さん(42)の行方は分からなかったが、少しだけ安心した。

「小学校の子どもたちは全員無事です」と携帯電話にメールが来たからだ。

水が引かず、地震から三日後の朝にようやく、侃太君と奏ちゃんが避難しているはずの小学校に向かった。だが、居合わせた保護者たちの視線は、腫れ物に触るようだった。

近くの避難所の一室で、花さんと、生きているはずの奏ちゃんがかわいい顔で並んで寝ていた。息はしていなかった。

あの日、花さんは既に帰宅。地震後、孫たちを心配した義母が侃太君、奏ちゃんを学校から連れて帰ったところ、四人は義母の自宅ごと数十メートル流された。義母だけが一命を取り留めたという。

まだ見つからない侃太君を捜し、無事だった夫と自宅周辺を歩き続けた。「ごめんね」。泥だらけの街に一人残されていると思うと、涙が止まらなかった。ようやく三月下旬に自衛隊員が見つけてくれた。

子どもたち三人の遺体は、近くの墓地に埋葬した。

避難している保育所からは、侃太君と奏ちゃんの通っていた小学校が見える。だが、あの日以来、近づくのを避けている。

「なぜ子どもを守れなかったのか。夫も私もおばあちゃんもみんな自分を責めている」。心労が重なった義母は親戚宅に預けた。

街をさまよい、がれきの山の中から見つけ出した洋酒を口に含んでみたが、眠ることはできなかった。

そのうち左耳に異常を感じるようになった。「にぎやかだったのに急に静かになってしまって。夫と話すんです。これからどう生きようかって」

東京新聞

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