『人の死で飯を食う葬儀屋』の小さなプライド

  • 2016年12月2日
  • 2019年9月28日
  • 雑談

『人の死で飯を食う商売』

良い・悪いは別として実に的を得た、ごもっともな表現だ。

しかし、つくづく葬儀屋というのは因果な商売だ。

必要とされるのは、決まってひとりの人間の人生が幕を閉じた時と相場が決まっている。

そこには遺された大勢の遺族、親族、知人、友人、同僚達がいる。

その輪の中心に、我々は神妙な面持ちで歩みを進める。

人の人生は十人十色だ。

天寿を全うした人間もいれば、これからという時に志半ばで、理不尽に奪われた命もある。

【人間の命に大きいも小さいもない、皆一様に尊い命だ】

そうは言うけれど、やはり若い人の死は格別のやり切れなさを運んでくる。

先日担当させていただいた故人は高校生。

「行ってきまーす!」

いつもと変わらず、普段通りに家を出て行ったのに、通学途中で車にはねられ帰らぬ人となった。

突然の事故死、病死、自殺・・・

平均寿命からすれば、折り返し地点にも遥かに届かない年齢で旅立った故人を前に、泣き崩れ、錯乱する遺族の姿をいったいどれ程眺めてきただろうか。

釈迦は説く。

「この世は無常なるもの。常に移り変わるのが三界穢土(この世)の掟であり、故にこの世に【常】などというものは存在しない」

命とて例外ではない。

自らの意思とはかけ離れた、強大な力によって与えられたこの命。

【奪われる時もまた然り】である。

数ある仏教の教えの中で、これ程胸に刺さる教えはない。

だからこそ、私はせめて葬儀屋として、【仕事だから】ではなく、【同じ無常の中に身を置く者】として、【心】で送り出しをお手伝いしたいと考えている。

それこそが『人の死で飯を食う葬儀屋』としての、ほんのわずかなプライドである。

深い悲しみの中、せめて熱い心を持った葬儀屋に巡り合い、心よりの送り出しが出来たと感じてもらえたら、葬儀屋としてこれほど嬉しいことはない

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