【東日本大震災】津波に父と長男奪われ、次女は自殺 大槌の住職、苦悩5年

長くも、短くも「あの日」から5年。

未曽有の災害に家族や友人、知人の多くを亡くし、深い喪失感を抱えながらの一歩一歩だった。

東日本大震災から5年の朝、被災地の人たちは、祈りをささげた。

津波で市街地が壊滅し、人口の約1割に当たる1200人以上の死者・行方不明者を出した岩手県大槌町。

11日朝、町中心部に近い江岸寺(こうがんじ)の住職、大萱生良寛(おおがゆうりょうかん)さん(57)は手を合わせた。檀家(だんか)約680人が犠牲になり、父秀明(しゅうみょう)さん(当時82歳)と、いずれ後を継ぐはずの長男寛海(ひろうみ)さん(同19歳)も失い、次女秀子さん(同24歳)は震災後に自殺。

悲しみが癒えることはなかったが、いつかは前向きに生きられるよう願う。

町で最も檀家が多い寺だった。階段状に墓地が並んだ山の斜面を背負うように立ち、海岸までの距離は約700メートル。震災前は町の訓練で例年避難先に使われていた。

2011年3月11日。地震発生後、地元住民らが次々と避難してきた。「大津波警報だから、山さ上がって」。大萱生さんは大声で誘導したが、足の悪いお年寄りたちは寺の周りに座り始めた。

過去に津波で寺が大きな被害を受けたことはなく、やむをえず寺を開け、ストーブを用意していたところを津波に襲われた。

高さ約6メートルの本堂の屋根まで達する洗濯機の中のような渦に、妻智子さん(57)と巻き込まれたが、2人とも運良く助かった。寺も火災で焼け、焼け跡からは3人の遺体が見つかり、中にいた20人余りが流されて亡くなった。寺に残った父と、愛知の大学から帰省中だった長男は、今も行方が分からない。

「じいちゃんとひろに会いたい」。次女がそう書き残し、自ら命を絶ったのは、震災から100日過ぎた6月22日。東京で幼稚園教諭をしていた。「ばかなことを」。大萱生さんは一時、仮設住宅に閉じこもり、一日中、酒を飲み続けた。

亡くなった日から100日を仏教で卒哭忌(そっこくき)という。「泣き叫ぶようなつらい悲しみはどうにか卒業しましょうという日だが、娘は卒業できなかったのだろう」と、今は思うことにしている。

震災後は500回もの葬儀を執り続けた。檀家総代の赤崎潤さん(51)は「家族の葬儀を後回しにし、檀家に寄り添っていた。同じ家族を亡くした境遇から気持ちが通じ、励まされた人も多いのではないか」と振り返る。

寺の墓地には、この日も朝から遺族が訪れ、故人に花を手向けた。犠牲者の法要は午後に営まれる。この5年、「自分たちだけが何で生き残ったんだ」と苦しんだが、ようやく「しようがない」と思えるようになったという。今はプレハブの仮本堂も23年の十三回忌を目標に再建したい考えだ。

毎日新聞

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