【ネパール地震】震源近く、立ちすくむ村 8歳娘、目の前で失う

ほとんどの家が全壊し、石や木材ががれきの山となって斜面に取り残されている。あちこちで、押しつぶされた家畜のヤギや牛が横たわり、ハエがたかっている。

カトマンズから車で計8時間。震源に近い未舗装の山道の先は、土砂崩れで完全にふさがれていた。車を降り、林や段々畑の広がる急斜面を1時間ほど登ると、壊滅した集落があった。

約200人が住むゴルカ郡ポハラター村。住民たちが、屋内に貯蔵していた米や穀類をがれきの隙間からかき出して集めていた。

村人らによると、この村では家屋40戸のほぼすべてが倒壊し、12人が死亡した。ヒム・ラナマガーさん(37)、スニタ・ラナマガーさん(32)夫妻は、3棟あった自宅がすべて壊れ、次女ビピサさん(8)を失った。

地震発生時、ヒムさんは仕事で他の村にいた。急いで戻ると、胸から下が近所の家の下敷きになった状態で、ビピサさんが倒れていた。住人たちと手作業でがれきを取り除いて助け出したが、手遅れだった。

背中をけがした長女のビニタさん(14)は、妹を亡くしたショックでしゃべれなくなった。ときどき、自宅のあった場所で1人で泣いているという。ヒムさんは「食事も寝るのも、ビピサと一緒だった。ビピサに会いたい」と声を絞り出した。

人々は、農業と牧畜で自給自足の生活をしてきた。ふもとの小さな発電所から電気も引いていた。だが、いまは重機を入れるスペースもなく、がれきは地震発生直後のまま。みなテント生活を送っている。

4月27日から、ボランティアチームなどが、ふもとまで米などの食料を届けるようになった。ほぼ毎日、村の青年たちが背負って運んでいる。

ビンマル・タパモガーさん(22)は「とても重いし大変だ。地震の前は清潔で豊かな暮らしだったのに。元通りにするには、50年ぐらいかかるんじゃないか」と話した。

ゴルカ郡では約400人が死亡したとされる。現地で支援活動をしている国連児童基金ユニセフ)のネパール事務所によると、震源地付近を含む山間部に近づくのは難しく、援助が十分に行き届いていない。

ポハラター村のふもとまで被害状況を調べに来ていた国連の災害調査チームのブルノー・ブリアクさんは「今回の支援の難しさは、被害を受けた村があちこちに散らばっていることにある。ヘリコプターを使わないと、物資を運べない場所も多い」と話した。(ポハラター村=中野寛)

 

世界遺産の街「客消えた」

カトマンズ近郊、バクタプル市の世界文化遺産「ダルバール広場」。ヒンドゥー教寺院の本殿は崩れ、土台しか残っていない。他の建物の多くも崩れている。

「予約で埋まっていたのに地震で客が消えた」。近くの宿で働くサンジェイ・ナガさん(45)は嘆いた。

カトマンズ首都圏にある世界遺産は7カ所。バクタプル、カトマンズ、パタンの3市では、15世紀以降の旧王宮や寺院群がまる同名の「ダルバール広場」が、それぞれ世界遺産に指定されている。

国連教育科学文化機関(ユネスコ)のネパール事務所によると、3カ所では寺院の5~8割が倒壊。マンハート所長は「復元には10年はかかる」と言う。

同国観光省によると、世界遺産やヒマラヤの山々を目当てに2013年には80万人の外国人が訪れ、4億1300万ドル(約500億円)を消費した。観光業で100万人以上が働く。ゴータム観光局長は「観光資源が失われた。復活を目指すしかない」と話す。

カトマンズ中心部、ふだんは外国人観光客が多いタメル地区では1日、通りに面した土産物店などは半分が営業を再開。稼働し始めたATMの前に市民らが長い列を作っていた。観光客の姿はほとんど見えない。

公園にできたテント村では、4月30日を境に野営者が減った。市内で電気の供給が戻り、自宅に帰る人が増えた。テント生活を続けるシバ・プラサド・ポウデルさん(64)も「水も食料も足りている」と話した。  

ネパール山岳協会によると、雪崩が起きたエベレストでは、ベースキャンプから希望者全員が下山した。登山の継続を希望する登山者ら約50人が残っているとの情報もある。

被害の全容は政府も把握できていない。内務省のダカル報道官は「行方不明者数も集計できていない」。

復興には、50億~100億ドル(約6千億~1兆2千億円)が必要との試算や見通しが、米シンクタンクなどから出ている。最大でネパールの国内総生産(GDP)の半分に当たる規模で、国土の再建には相当の時間がかかりそうだ。 

朝日新聞

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