【東日本大震災】パパになるよ・・・弟一家、姉の幼子迎え入れる

東日本大震災の津波で自宅や勤め先の会社を流され、避難所生活を送る岩手県陸前高田市の会社員、松田雅範さん(41)が津波で亡くなった姉、新沼薫さん(45)の幼い子供3人を新しい家族として受け入れる決意をした。

松田さん自身も妻と2人の娘をもち、生活の見通しはまったくない。だが「震災遺児」となったおい、めいだけにするわけにはいかなかった。

松田さんが家族として迎え入れたのは薫さんの長男実歩(みつほ)君(8)と双子の姉妹の朱莉(あかり)ちゃん(7)、美尭(みのり)ちゃん(7)。薫さんは遺体で発見され、夫友康さん(46)や友康さんの両親は行方が分かっていない。

「津波が堤防を越えます。今すぐ逃げてください」。3月11日、松田さんは母を連れて車で避難所に向かった。防災無線の絶叫にも近い声は、事の重大さを物語っていた。

背後で電柱がなぎ倒され、水しぶきが見えた。急いでハンドルを切って高台を目指すと、保育士に連れられ素足で坂を駆け上る次女穂乃実ちゃん(4)を見つけ、運転席の窓から車内に引き入れた。

その後、避難所を訪ね歩き、長女由希菜ちゃん(7)と、薫さんの子供3人の無事を確認した。

叔母の家に5人の子供を預け、薫さんらを捜し続けた。翌12日。避難所の市民体育館に向かう薫さんと、消防団員として体育館前で交通整理をしていた友康さんの姿を目撃したという人に出会った。

体育館は、津波にのまれ生存者がほとんどいない避難所だった。薫さんの家も基礎が残るのみだった。

震災1週間後の18日、松田さんは遺体安置所で薫さんと再会した。薫さんの子供たちと自分の長女は同じ小学校。

一緒に遊ぶことも多かった。どれだけ子供たちを愛していたか、よく知っている。姉の無念さを思うと、やるせなかった。

薫さんの死を子供たちに告げられなかった。「電話が通じるようになったら、早くお母さんに電話したいな」。

甘えたい盛りの子供の気持ちを思うと、胸が締め付けられた。それでも「最期の別れだけは立ち会わせたい」と火葬前日の23日夜、事実を告げることにした。

「なに、なに」。無邪気な子供たちを前に、声を振り絞った。「お母さんもお父さんもみんな死んじゃいました。今日はいっぱい、いっぱい泣いていいからね」

悲しみに包まれる部屋。そして松田さんと妻あやさん(41)は、こう告げた。

「これからは由希菜のパパとあやちゃんが、みんなのパパとママになります」

岩手県が3月25~31日、県内約350カ所の避難所で行った調査によると、幼児~18歳未満のうち、両親が死亡・行方不明になった子供が約50人確認された。

しかし、薫さんの子供のように親族に引き取られ避難所にいない子も多いとみられ、全体像は分からない。

陸前高田市教育委員会が各小中学校を通じて行った調査では、市内の小中学生だけで27人(2日現在)が震災遺児となっている。

市の担当者は「まだ増える可能性もあり、実態を早急に把握する必要がある」と話す。

松田さんは自らも家や職を失った。「正直、この先どうしていいか分かりません」。表情には不安も漂うが、姉の愛した子供たちをどうしても見放すことはできなかったという。

「逆の立場だったら姉も同じことをしてくれたと思いますよ」

毎日新聞

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