【東日本大震災】妻と両親を亡くし、4人の子どもたちを育てたシングルファーザー

福島・相馬市に住む岩崎 満さん(45)。

震災から4年がたち、描いているのは家族の絵。

真ん中で、4人の子どもに囲まれているのは、あの日、突然帰らぬ人となった妻の友美子さん。

午前5時、岩崎さんの朝は、弁当作りから始まる。

岩崎さんは「実際、ご飯の弁当詰めなんて、やったことなかったので」と話した。

岩崎さんは、子どもが4人。

作っているのは、長女と次女が学校へ持っていく弁当。

岩崎さんは「亡くなった家内が、料理がすごく得意だった。手の凝った料理して、お弁当なんかも、子どもたちのお弁当なんかも、うんと凝ってね」と話した。

弁当を作り終えると、その出来栄えを報告するように、仏壇の前に座った。

岩崎さんは「いなくなってからわかりますよね。ありがたみって」と話した。

あの日、岩崎さんは、妻の友美子さん、父親の積(つもる)さん、母親の初子さん、祖母のヒマさんを失った。

自宅に一緒にいた次男と次女は、高台に避難することができたが、妻の友美子さんだけは、できなかった。

岩崎さんは「(妻が)何かを取りに行ったんですね。『お父さん、ちょっと戻るから』と言って。そこでわたしが、『行くな』と言えばよかったけど…、そこまで声が出なかった。『すぐ戻ってこい』という言葉が出て」と話した。

今も残る、後悔。

次女の汐音(しおん)さんは、母親が津波に流されていくのを見ていた。
岩崎さんは「かなりの心の傷も、母親の流されているところも見てるんで、親として、どう言葉をかけていいのかとか、どう接していいのかとかって」と話した。

岩崎さんは、共にショックを受けた娘を心配し、長年住んだ磯部地区を離れ、避難先の小学校に通わせることも考えた。

しかし、それを思いとどまらせたのは、汐音さんの言葉だった。

岩崎さんは「『お父さん、心配することないから』って言われたの。これ聞いた時、頑張らないとだめだなと」と話した。

娘の言葉を受けて、岩崎さんは、2014年、磯部地区の高台に新しく家を建てた。

会社も辞め、趣味だったアートで生計を立て、家族と、この地で暮らしていくことを決意した。

そして描き始めたのが、友美子さんが真ん中にいる家族の絵。

岩崎さんは「母親と一緒に撮った写真が、あれ(震災)以降、絶対ないので、子どもたちのために、なんとか家族写真の集合のステンシルアートを作って、あったかい笑顔を取り戻してあげたい」と話した。
先日、その絵が出来上がった。

4年の月日を経て、再び集まった家族。

完成した絵を見た子どもたちの顔には、温かい笑顔が浮かんでいた。
先週末、岩崎さんは、子どもたちを連れて、友美子さんのお墓参りをした。

岩崎さんは「会う人、会う人、『満、頑張ってるな』と言われるけど、一番末っ子が成人を迎えて、一人前になった時、自分の中で『俺、やったよな』って、かみさんに言いたいの。

そうすると『お父さん、やればできるんじゃないの』って、言ってくれるような気がするんですよ」と話した。

亡き妻に見守られながら、愛する家族と未来を描いていく。

東日本大震災では、多くの子どもたちが親を亡くした。

岩手・宮城・福島の3県で、両親を亡くした18歳未満の子どもは、241人。

父親か母親のどちらかを亡くした子どもは、1,514人。

あわせると、1,700人以上にもなる。

この子どもたちは今もなお、心に深いダメージを負っている。

FNN

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