【東日本大震災】僕は泣かないよ!

2011年(平成23年) 3月11日午後2時46分。 あの日突然起こった悲劇。あの悲劇は多くの子供たちから親を奪った。 宮城県女川町の7歳の男の子も母親を亡くした一人だ。

しかし彼は 周囲を気遣っていまだに涙を見せず、その小さな胸に悲しみを抱え込んだままだ。

がれきから見つかったのはたった一枚の母親の写真。

七五三の時に家族みんなで撮ったものだ。笑顔の母の写真に毎日「おはよう」「おやすみ」とあいさつをする。

でも家族が母親の話をすると、「寂しくなるからいわないで」と怒ったような顔をする。

もうすぐ兄弟ができるはずだった。 お母さんのおなかの中には赤ちゃんがいたのだ。 彼は初めてのきょうだいの誕生を楽しみにしていた。 『ケンガができるから弟がいいな』甘えん坊だった彼は、お母さんさんの妊娠がわかった後は、進んで家事を手伝うようになっていた。

そこへ突然の悲劇が… 母親の職場は海岸から1キロ以上離れた場所に建つ、頑丈な鉄骨の工場だった。しかし大津波はそんな頑丈な工場をも突き抜けた。 母親は数日後、同僚らとともに工場内で折り重なって見つかった。

家族は安置所で亡きがらと対面した。傷ひとつない眠るような顔が、せめてもの救いだった。 家族が泣き崩れるなか、彼は涙を見せなかった。

悲しみの対面から数日後、父親が「悲しいときは泣けよ」と避難所で声をかけると、彼ははこう答えた。 「お父さんがいちばん悲しいから、僕は泣かない」 その後も彼が涙を見せることはないが、やんちゃっぷりに拍車がかかった。父親には、彼が無理をしていることはわかっている。

避難所で一緒に寝起きしている祖母も、「寂しいって言ってくれた方が安心なんだけど…」と気をもむ。 2人のとの職場結婚から8年。 亡くなった母親はさんは出産に備え、震災の10日後に退職する予定だった。 次の検診では、おなかの子の性別がわかる予定で、男女どちらでもいいように2つの名前も考えていた。 妻とまだ見ぬわが子を亡くした日から、父親さんの時間は止まったままだった。 何も考えられず、助けられなかった悔しさだけが心を埋めていた。

震災から丸1カ月たった4月11日、 父親は自宅近くで重機に乗り、周囲を覆うがれきを動かしていた。黙祷(もくとう)するために重機を止めた午後2時46分、ふと 直前に動かしたがれきの中に見覚えのある服が目に入った。 結婚後、初めて妻がが買ってくれたお気に入りのジャージー。 近くに妻の存在を感じずにはいられなかった。 そして今、息子さんと成美さんのために前を向こうと思っている。 再出発の第一歩として、近く仮設住宅の入居を申し込むつもりだ。 12日には2年生になった息子も始業式を迎える。

「子どもがいっから、頑張んなきゃ。夢吹が強く、優しく育つことが妻のの願いだったから」 そう口にし、雨が降り始めた空を見上げた。

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