【東日本大震災】愛の証し色あせず 妻に編みかけのマフラー

■相馬市原釜 佐藤宇紀さん=当時20=

みんなに慕われる心優しい青年だった。愛する人と結ばれ、父親になる目前だった。

東日本大震災が発生した昨年3月11日、相馬市原釜の会社員佐藤宇紀(たかのり)さんは高台に避難した後、近所のお年寄りを助けるために駆け下り、津波にのみ込まれた。

6日後の17日、行方不明者の捜索が続いていた市内原釜の住宅地で声が上がった。「1人発見」。市消防団第3分団原釜班長の父正人さん(50)はすぐに駆け付けた。自衛隊員らの背中越しに、男性の膝が見えた。見た瞬間、行方を案じていた長男だと直感した。上着を脱がせ、背中のほくろを確認した。

すぐに無線機で、市災害対策本部に連絡した。団員らは誰も声を出さず、重く張り詰めた空気が辺りを包んだ。

「原釜でたった今、遺体を発見。佐藤宇紀、20歳」

<間違いないか>  「間違いありません。俺の息子です」

原釜の漁師の長男として生まれた。新地高を卒業後、宮城県角田市の電子部品製造会社で働いた。同期入社の亜沙美さん(21)と愛を育み、平成22年12月24日に入籍した。授かったわが子の誕生を待ち、今年6月ごろに式を挙げるつもりだった。

亜沙美さんの手元に未完成の手編みマフラーが残されている。宇紀さんは3月14日のホワイトデーに贈るつもりだった。妻をびっくりさせようと祖母に習って内緒で編み続け、最後のふさを取り付けたら完成というところまで出来上がっていた。

マフラーは津波で流された自宅の2階部分から正人さんが見つけ出した。妻を大切に思う手作りの愛の証し。母の三和子さん(48)はあらためて実感した。

「最高の息子だった。自分たちの下に生まれてきてくれてありがとう」。昨年6月、亜沙美さんのおなかにいた結月ちゃんが無事に誕生した。

高校時代の同級生や会社の同僚が息子のために線香を上げに来てくれる。「宇紀だから助けに戻ったんだよ」。息子の正義感を友人として誇ってくれた。争い事を好まない。曲がったことは嫌い。

周囲の薦めもあり、震災がなければ昨年3月中旬には父親の背中を追って消防団に入る予定だった。「まだ入団前だったが、心のどこかに『人のために』という気構えを抱いていたのだろうか」。正人さんは男親として複雑な思いで息子の死を見つめる。

市内の刈敷田仮設住宅には遺族6人が暮らす。震災前の一昨年12月28日に市内の結婚式場で撮影された新郎新婦姿の写真が飾られている。津波で流された宇紀さんの車から見つかった1枚。寄り添う2人は幸せいっぱいの笑みを浮かべている。

愛する妻を残し、まな娘の誕生を待たず旅立った。「これからは2人をしっかりと見守り続けろよ」。正人さんは宇紀さんに最後の注文を付けた。

福島民報

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