【東日本大震災】わんぱく 家の太陽 ランドセル父の贈り物

■斎藤翔太君=当時5つ= 南相馬市小高区

やんちゃでいつも家の中を走り回っていた。たんすの扉に足の指を挟み、大けがもした。5つ年上の兄拓人(ひろと)君(11)と、いつも一緒に遊んでいた。「ひろ、ひろ」とまとわりついては、よくけんかをした。

「手を焼くことが何度あっても、わが家では太陽のように明るい存在だった」。南相馬市小高区塚原の斎藤誠さん(41)は、わんぱくだった次男翔太君が今にも、どこからか飛び出してきそうな思いにしばしばかられる。

翔太君は誠さん、母真紀さん(35)、拓人君、曾祖父母の6人で暮らしていた。地震後、小高幼稚園から戻り、曾祖父母らと一緒に自宅にいた。誠さんは勤務先の小高小で児童の避難に当たっていた。家族のことが気になったが、すぐには戻れなかった。

沿岸部にあった家は津波で押し流された。曾祖父母らが翔太君を懸命に守ろうとしたが、津波の勢いは止めようがない。翔太君の行方が分からなくなった。

「翔太、翔太-」。震災翌日、がれきや土砂に埋め尽くされた自宅周辺で、何度も叫んだ。しかし、返事はなかった。東京電力福島第一原発事故が起き、自宅は警戒区域になった。捜したくても立ち入りできず、警察に捜索願を出した。

「『しょうた』と書かれた服を着用している男の子が、田んぼの泥の中から見つかりました」。南相馬署から連絡が入ったのは約1カ月後のことだった。  市内の遺体安置所で対面した。ひつぎを開けると、わが子は布団の上で眠るように目を閉じていた。「しょうた…」。名前を呼ぶのがやっとだった。

翔太君が身に着けていたトレーナーと下着が、ひつぎの片隅に置いてあった。下着はぼろぼろに穴が空いていた。息子を襲った痛みや恐怖を思い、立ちすくんだ。「あの時、お父さんがそばにいなくて、ごめんな」。心の中でわび続けた。

避難先の会津若松市内の借り上げ住宅で真紀さん、拓人君と3人で暮らす。トレーナーと下着は、仏壇の引き出しの中に丁寧に畳んでしまってある。着衣の汚れは、真紀さんが何度も手洗いして落とした。

「ぼく、警察官になって悪い人を逮捕するんだ」。翔太君は将来の夢をよく口にした。震災がなければ今春、地元の小高小に入学するはずだった。

誠さんは3月、相馬市のショッピングセンターでランドセルを購入した。深い青色を選んだ。背負って学校に通う姿を思い浮かべると、切なくなる。それでも、父親としての一番の贈り物だった。

誠さんは会津若松市に役場機能を置く大熊町の熊町小で教員として働いている。放課後、元気に遊ぶ児童の姿が翔太君と重なることがある。

あの日から1年以上が過ぎた。お気に入りのカメの人形を手にする写真に、声を掛けるのが出勤前の日課になった。「行ってくるよ。翔太」

福島民報

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