【東日本大震災】会社支えた妻、娘 再興、霊前に誓う

■南相馬市鹿島区南右田 大久保光子さん(69) 里美さん(37)

光子さんは、自宅に併設した建材会社を夫の宏さん(70)と切り盛りしてきた。事務の仕事を取り仕切り、長女の里美さんが手伝った。

震災の日、光子さんと里美さんは業務で市内に出掛け、会社に戻ったところを津波に巻き込まれたとみられる。

宏さんは会社から100メートルほど離れた工事現場で震災に遭った。当時、ビニールハウスの建設作業をしていた。基礎工事を終えた部分に生コンクリートを注入しようとした瞬間、強い揺れに襲われた。

「津波が来るぞ」。近所の人の叫び声が聞こえた。しかし、海側にあった大きな建物に視界を遮られ、津波の様子が分からなかった。直後に津波にのまれ、1キロほど流されたが、がれきにつかまり、奇跡的に助かった。

自分が無事だったことを知らせたかったが、2人の行方が分からなかった。「きっと、どこかの避難所にいるだろう」と、宏さんは信じていた。

震災から2日後、2人の遺体が自宅のそばで見つかった。安置所で対面した時、ぼうぜんと立ち尽くした。「なぜ、死んでしまったんだ」

震災当日、宏さんはいつもと変わらない朝食を取りながら、光子さんに話した。「今日は仕事を休もうか」。光子さんはたしなめた。「早く仕事を終わらせてから、休みなさい」

地道に真面目に、目の前の仕事を大切に-が光子さんの口癖だった。疲れて帰ると、里美さんが優しい言葉で迎えてくれた。失って初めて家族のありがたさが身に染みた。

光子さんとは見合いで結ばれた。農業をしながら建設会社に勤務し、38歳の時に念願の会社を興した。独立して30年の節目の春に不幸に見舞われた。

海岸から1.5キロほど離れた自宅兼会社は跡形もなく流された。最愛の妻と娘を失い、自分も死ねば良かったと思った。長男浩幸さん(48)に後を譲り、長年連れ添った妻とのんびり過ごせば良かったとも後悔した。

光子さんが地震に備え、保険に加入していたことを後になって知った。「妻や娘は、自分が気付かないところで会社のことを考えてくれていた」。そう思うと、会社を畳むわけにはいかない。1度提出した廃業届を取り下げ、長男夫婦の力を借りて会社を存続させることを決心した。

鹿島区内の仮設住宅で暮らしながら、再興を目指している。今夏、区内の寺で営んだ法要で、宏さんは2人に固く約束した。「絶対に会社を残すからな」

福島日報

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