【東日本大震災】笑顔絶やさぬ太陽 「一番愛しているのは美沙」

■相馬市磯部 河西美沙さん(21)

昨年3月11日、相馬市磯部地区に大津波が押し寄せ、家々をなぎ倒した。多くの住民が幸せな暮らしを奪われた。

同地区の河西美沙さんは震災後、市内の会社を出て自宅に向かったのを最後に行方が分からなくなった。「美沙、美沙…」。母真由美さん(48)は何度も携帯電話の番号を押した。しかし、つながることはなかった。

「どこかにいるはず、無事でいて…」。父一彦さん(48)は友人と共に、水が引かないうちから沿岸部を歩いた。

1週間後、自宅から約1.5キロ離れ、まだ水に漬かった場所で美沙さんの車が見つかった。市内の遺体安置所で対面した美沙さんは眠ったように見えた。掛ける言葉がなかなか見つからない。ただ泣いた。「帰ってきてくれてありがとう」

「太陽のよう」。優しく、笑顔を絶やさない美沙さんの周囲には人が集まってきた。

兄英哲さん(28)の影響で小学校時代にバレーボールを始めた。高校は地元の強豪相馬東に進んだ。左手で放つジャンプサーブを武器に頭角を現し、全国高校バレーボール選抜優勝大会(春高バレー)、インターハイ、国体などに県代表として出場し、主力選手として活躍した。

卒業後は相馬市の医薬品メーカーに就職した。バレーボールで鍛えた忍耐力と、明るい性格は先輩、同僚から慕われ、評価された。体調がすぐれなくても欠勤しない。責任感の強い社会人に成長した。兄の息子と娘を自分の子どものようにかわいがり、休みの日には一緒に遊んでいた。

震災直後、家族を心配して会社から自宅に向かったという。6号国道バイパスは寸断されていた。海岸近くの道を自宅の方向に向かう姿を中学校の先輩が目撃している。

そのころ、高さ10メートルを超える津波が沿岸部を襲った。同居していた祖母チイ子さん(73)は「周りが見えないほど家族を心配していたのでしょう」と目を潤ませた。

昨年7月の葬儀には人柄をしのび、約350人が参列した。同級生や同僚、バレーボールで親交を深めた、かつてのライバルたち…。早過ぎる死を悼んだ。

真由美さんらが居を構えた相馬市内の仮設住宅。静かな音でパソコンがCDを読み取る。津波で自宅が流され、遺影さえも準備できない状況だったが、友人たちがたくさんの写真を持ち寄ってくれた。ユニホームや制服姿の美沙さんがほほ笑む。

生前、ブログを運営していた美沙さん。愛しているものの一番最初に「家族」とつづっていた。

「海外旅行をしているとでも思っています」と真由美さんは気丈に振る舞い、そっと画面に語り掛けた。「私たちも一番愛しているのは美沙よ。何10年後かに、また会えるまで頑張るからね」

福島日報

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