【東日本大震災】最後に夫へ感謝

■浪江町請戸 熊川洋子さん =当時72=

夫の勝さん(74)は震災後、急いで浪江町請戸の自宅に戻った。膝の悪い洋子さんは一階の茶の間で1人おびえていた。外に出ると、黒い壁のような津波が押し寄せていた。

勝さんは洋子さんの手を引き、2階の踊り場まで駆け上がった。

勝さんは洋子さんを抱き、洋子さんは勝さんのジャンパーにしがみついた。ドーンという大きな音とともに濁った水が一階から上がってきた。勝さんは着ていたスポーツ用のジャンパーに空気が入り体が浮いた。しかし、洋子さんは津波にさらわれた。

家ごと請戸川まで流されたが、勝さんは角材で天井を壊し、脱出した。「洋子、洋子-」。声がかれてもなお、妻の名前を呼び続けた。

3月12日に避難を余儀なくされ、捜索は中断した。4月22日に請戸川の上流で洋子さんが変わり果てた姿で見つかった。

料理が得意だった。豆腐を食べるとき、「あれ」と言っただけでしょうゆを差し出してくれた。互いの思いを知り尽くしていた。勝さんは「今でも夕方になるとつらくなる。夫婦2人で買い物に行くのが一番の楽しみだった」と最愛の妻をしのんだ。

膝が悪かった洋子さんは平成21年夏ごろ、都内の病院で手術し、2カ月ほど入院した。退院すると聞いた勝さんは請戸の自宅から車で迎えに行った。その帰路が2人の最後の長旅となった。浪江町でリハビリを続けた洋子さんは順調に回復していた。

震災から1年以上が過ぎた。「おはよう」「ただいま」「おやすみ」。勝さんは毎日、洋子さんの遺影に話し掛ける。

最愛の妻を失いながらも前向きに生きる勝さんの心の中にはいつも、48年間連れ添った洋子さんが残した最後の言葉がある。津波にのまれる直前、洋子さんは言った。「お父さん、ありがとう」

福島民報

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