【東日本大震災】漁師の宝 船とともに

■新地町大戸浜 小野常吉さん =当時56=

「あんちゃん、機械が止まった。どうにもならない。津波が来た」。新地町の漁師常吉さんとの最後の無線交信を、兄の漁師春雄さん(60)は鮮明に覚えている。船ごと海にのまれた常吉さんは一週間後、相馬港で見つかった。

常吉さんは震災時、新地町の自宅にいた。「津波が来る。船を守らないと」。車で5分ほどの町内の釣師浜港に急行し、沖に向かって船を出した。

海に出ていた春雄さんには無線で、常吉さんの悲痛な叫び声が届く。「船が動かない。早く来てくれ」。途中で船の調子が悪くなったのか。引き潮により、水深が浅くなっていたためスクリューに土砂が詰まったのかもしれない。身動きができない船に大津波が襲った。

春雄さんは既に安全な沖に出ていたが、無我夢中で引き返した。

だが、常吉さんの船は所在地を示す機器も故障したのか、位置がつかめなかった。「常吉、大丈夫か。今行くぞ」。春雄さんは必死に呼び掛け続けたが、無線はやがて聞こえなくなった。

高さ10メートルもの津波が押し寄せ、海面には渦が発生していた。荒れ狂う暗い海の上を命懸けで探し回ったが、常吉さんの船を見つけることはできなかった。

常吉さんは「つねちゃん」の愛称で親しまれていたベテラン漁師。自宅で漁師仲間と酒盛りをするのが好きで、よく集まっては酒を酌み交わしていた。息子2人をかわいがる子煩悩な一面もあった。

毎日のように一緒に漁に出て、イワシやヒラメなどを捕っていた。春雄さんは「船など放っておいて、高台にあった自宅にいれば命を落とすことはなかった。でも船を守りたかった気持ちも分かる。腕の良い漁師だったから…」と涙ぐむ。

津波が起きたことがうそのような穏やかな海を見詰め、常吉さんの死を悼んだ。

福島民報

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