【東日本大震災】働き者、弱さ見せず 抱き締めた母 小さく感じた

■須賀川市長沼 和智さつきさん=当時86=

須賀川市長沼の農業用ダム「藤沼湖」。東日本大震災で決壊し、下流の家々を濁流がのみ込んだ。荒れ狂う水は川をえぐり、土を剥ぎ取り、昨年、地域の稲穂が首を垂れることはなかった。

湖近くの借り上げ住宅に、住まいを失った人々が暮らす。犠牲となった和智さつきさんの遺影に長女とき子さん(59)が静かに手を合わせ、思いをめぐらせた。

昨年3月11日、揺れが収まらず、「おっかねー」と叫ぶ母の体に手を回し、落ち着かせた。「あの時初めて母を抱き締めた気がする。母を小さく、か細く感じた」

さつきさんは同市岩瀬(旧岩瀬村)出身。昭和25年に夫由次さん(86)と結婚してから同市長沼(旧長沼町)に住み、2人の娘に恵まれた。

結婚後、山にスギやマツを植栽するなど力仕事に明け暮れた。重い苗木を背負い、山道をどんどん登っていく母の姿を、とき子さんはたくましく見つめていた。

「何でもやる男勝りの性格。家族の前では決して弱音を吐かなかった」。林業をやめた後も部品工場で働き、家計を支えた。定年後は庭にユリや菊、カスミソウなどを植え、余生を楽しんでいた。

平穏な日々は一瞬にして奪われた。揺れが去ってどれほど時間がたっただろう。「ガシャーン」というけたたましい音に驚き、とき子さんが外を見ると、立ち木やトタン屋根、車が電柱をなぎ倒すように迫っていた。

水は数秒で1.5メートル余の高さまで上がり、一緒にいた、さつきさん、由次さんが流された。とき子さんは近くの道路上に押し流され、助かった。由次さんは電柱につかまった。だが、さつきさんだけが見つからない。翌12日朝、自宅から約300メートル離れた水田で発見された。

長沼体育館で母親と対面した。傷は少なく、まるで眠っているかのように見えた。「まさか、あのダムが壊れるなんて…。すぐに高台に避難させれば良かった。助けてあげられなくてごめんね」。あの日を思うたび、後悔の念が押し寄せる。

今年1月、有識者でつくる検証委員会は決壊原因を「長時間におよぶ大規模な地震と強度の低い施工方法が原因」と結論付けた。しかし、とき子さんには割り切れぬ思いがある。なぜ、一生懸命生きてきた母が死なねばならなかったのか。

濁流は全てを奪った。今、とき子さんの手元に残る母の写真は1枚きりだ。「命は帰ってこない。でも、母はいつまでも、私の記憶の中で生き続ける」

福島民報

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