【東日本大震災】人命救助任務全う 息子褒めてやりたい

■浪江町請戸 渡辺潤也さん=当時36=

浪江町請戸地区は東日本大震災の津波で壊滅的な被害を受けた。町消防団員として住民の避難誘導に当たった理容師渡辺潤也さんの行方はいまだ分かっていない。

家族に車で町役場へ避難するよう指示をすると、他の団員と共にポンプ車で沿岸部を回った。第一波の後、屯所近くの水路から住民を救出した。その後、知人の車で避難しようとするのを最後に目撃情報は一切ない。

「消防団になんか入れなきゃ良かった…」。避難先の川俣町の住宅で毎朝、母昭子さん(62)は潤也さんが好きだった、たばこに火を付け、遺影に手向ける。

「オーライ、オーライ」。町役場に避難する家族の車を誘導する潤也さんの声が離れない。「現実を見なきゃいけないのに、受け入れられない」

代々、理美容業を営んできた一家の長男として生まれた。双葉高を卒業後、いわき市の理美容専門学校で学んだ。15年ほど前、両親が経営する「ワタナベ理美容室」に戻ってからは、年配のお客さんたちに息子のようにかわいがられていた。

平成8年、妻友美さん(37)と結婚後、一男一女に恵まれた。子煩悩な父親としても有名で、長女の紗彩(さあや)さん(14)、長男の桐惟(とうい)君(11)とキャッチボールや相撲をして遊んだ。

桐惟君は避難後もリトルリーグに入り、潤也さんが得意だった野球を続けている。

隣で眠る桐惟君を見詰め、昭子さんはつぶやく。「昔、一緒に寝ていた息子の姿と重なるんです」  紗彩さんは伝統芸能「請戸の田植踊」の踊り手として活動している。「きっとお父さんが見ていてくれる」。震災から1年となる11日、二本松市で開かれる復興の集いで踊りを披露する。

昭子さんの枕元にある日、潤也さんが立ったという。いつも通りの笑顔で現れ、「母ちゃんごめんな」と2回謝った。この出来事をきっかけに気持ちを切り替え、住民の命を救い、海に消えた息子を褒めてやりたいと思うようになった。

「お母さんの子供でありがとう」

「野球を教えてくれてありがとう」

「家族を守ってくれてありがとう」

昨年10月に潤也さんの死亡認定を受けた後、家族は、たくさんの「ありがとう」を白い布に記した。潤也さんの友人らにもメッセージを書いてもらい、春の彼岸に請戸の海に流す。

「いつまでも一緒だからね」。昭子さんは、今もどこかで眠る息子に、みんなの思いが届くことを祈っている。

■浪江町消防団  昨年3月11日時点で、526人が所属していた。震災後は住民の避難誘導などに当たり、3人が津波に巻き込まれ殉職した。今年1月、二本松市で出初め式を行い、犠牲になった団員の霊前に町再生の誓いを立てた。

福島民報

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