【東日本大震災】仕事一筋、妻気遣う 最後まで添い遂げられたね

■いわき市平豊間 金成年泰さん=当時77=

「食べ物商売は3日以上休んじゃならない」。

いわき市平豊間のかまぼこ製造業「金成食品工業」を一代で築いた金成年泰さんは、いつも周りに言っていた。無口で、頑固で、愚直にかまぼこを作り続けた。津波に巻き込まれた亡き夫の姿を妻晁子(ちょうこ)さん(74)は思い浮かべた。

「向こうに行ってしまったけど、あの人のことだから、みんなに自慢のかまぼこを振る舞っているはず」

江名漁港がある市内江名地区で父親が営んでいた水産加工会社を幼いころから手伝った。小名浜水産(現いわき海星)高を卒業して一時、家業に携わった後、「手に職をつけ独立したい」と県外の大手加工会社で数年間修業した。

昭和37年、29歳で実家の隣町に「金成年泰商店」を興し、板かまぼこの製造を始めた。翌年、晁子さんと見合い結婚して以来、2人で切り盛りした。

結婚10年目に待望の長男、翌年に次男が生まれた。子育ては晁子さんに任せて仕事に打ち込む。妻を気遣い、子煩悩な一面も見せた。外食はせず、晁子さんの手料理を好んだ。多くは語らず、おいしそうに食べた。

昭和47年、有限会社の「金成食品工業」に変更したのを機に社長の仕事を弟に譲り、自らは専務としてかまぼこ作りの現場に立った。午前2時すぎに起き、自宅から約600メートル離れた工場に向かう。

毎日必ず全ての材料を自分の口と手で確かめ、妥協は一切しなかった。変わらぬ風味の看板商品「三笠」は値段は高めだが、多くの顧客がついた。

あの日、従業員を避難させた後、行方が分からなくなった。

大津波警報が出されたのを知り、晁子さんと一緒に逃げようと自宅に向かい、津波に襲われたとみられる。晁子さんは近くの避難所に逃げて無事だった。

翌日昼ごろ、自宅近くで夫の遺体が見つかったと聞き、駆け付けた。夫は作業用の白衣と白い長靴を履いたままだった。そばには晁子さんの衣服が数着、流れ着いていた。四十数年、夫といつも一緒だった。「最後まで添い遂げられたね」。衣服が自分の分身のように映り、胸が熱くなった。

震災後、晁子さんは長男の大輔さん(38)と小名浜のアパートに避難している。夫、家、工場…と、大切なものを失い、1年たっても先のことはまだ考えられない。

数年前、夫婦で川内村の天山文庫を訪れた時の写真が手元に残る。入館録に筆で名前を記す年泰さんの姿が写っている。

<みんな 元気で暮らせよ>。一家の大黒柱として、家族に言い残したかった最後の言葉を夫が今、そこにしたためているような気がして励まされる。

福島民報

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