【東日本大震災】家族愛貫いた夫婦 「次男助けたい一心で」

■いわき市平豊間 鈴木克典さん=当時42= 久美子さん=当時42=

自宅まで1キロ足らずの薄磯地区で津波にさらわれた。

「自宅に1人残した次男を助けたい一心だったのでしょう」。克典さんの母文子さん(68)は津波が迫る中、海岸線を自宅に向かった2人の胸中を推し量った。

震災から10日余りが過ぎた昨年3月22日。沿岸部は津波がなぎ倒した家屋のがれきに覆われていた。

夕刻、克典さんの遺体が発見された。翌日には克典さんから約100メートル離れた場所で久美子さんが眠っていた。近くに2人が乗っていたとみられる車もあった。

地域で評判のおしどり夫婦。文子さんは2人の遺影にそっと語り掛けた。「天国でも仲良くね」

克典さんは漁師の長男として生まれた。小中学校は剣道部に所属し、勿来工高では陸上の短距離選手として活躍した。

卒業後、市内の医療用具メーカーの工場に就職し、茨城県の高校を卒業したばかりの久美子さんと出会った。克典さんは消防団に入るなど地域活動に情熱を注ぎ、仲間からの信頼が厚かった。

平成3年、克典さんが市内の車両部品会社の工場に転職したのを機に、2人は結ばれ、長男(19)と次男(16)を授かった。

13年ほど前、車両部品工場が閉鎖となる。矢吹町の系列工場に配置転換となったが、家族との時間を大切にするために自宅からの通勤を選んだ。

片道約一時間半ほどかけて車で通った。雪の日は渋滞し、帰宅が深夜になることも。それでも克典さんは疲れた体を押して、悩みや学校での出来事を話す子どもたちに笑顔を向けた。

平成20年秋、サブプライムローン問題に端を発した世界同時不況が日本経済を直撃。翌年、矢吹町の工場が閉鎖になった。

「県北地方、山形県の工場への配置転換」か「希望退職」。会社から示された選択肢は2つだけ。家庭を何よりも愛した克典さんは希望退職を選んだ。

長引く不況で再就職先はなかなか見つからない。昨年1月、大型自動車免許を取得。就職活動を再開しようとした矢先、震災が幸せな家庭を引き裂いた。

2人の長男は昨春、就職のため上京し、現在は文子さんと次男、克典さんの祖母(88)がいわき市内の親類宅に身を寄せている。

「孫を社会に送り出すまで頑張らなければいけない」。癒えない悲しみを胸に文子さんは仏壇を見詰めた。「今でもすぐそばにいるような気がするんです。泣いてばかりいると2人が成仏できないと思うけど…」

福島民報

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