【東日本大震災】がれきを使って小屋 父子3人住む 釜石

三陸海岸の箱崎半島にある岩手県釜石市箱崎町。

9割が津波にのみ込まれ、救援活動が大幅に遅れている漁師町に、家族4人が死亡・行方不明となっている父子がいる。

漁師の金野裕次郎さん(52)と長男利也君(16)と次男郁也君(14)。がれきを使って掘っ立て小屋を建て、救援物資で糊口(ここう)をしのいでいる。

雪で白く染まったがれきの片隅に小屋は建っている。いてつくような沢水で洗濯した服がバラックの前に干してある。6畳足らずの小屋の中で朝、父子3人が救援物資のカップラーメンをすする。

津波が襲った11日。妻(53)と臨月で里帰りしていた長女(24)、孫(4)は、市内の特別支援学校に通う次女(15)を車で迎えに行く途中で被災し、息絶えた。自宅にいた母(75)は逃げ遅れ、今も行方が分からない。

港にいた金野さんは辛くも高台に逃れ、県立大槌高1年の利也君と市立釜石東中2年の郁也君は、友人らと学校から避難した。父子3人が再会したのは24日。障害を持つ次女は仮設住宅が完成するまで市内の施設に預かってもらった。

近所の人に手伝ってもらい、がれきの中から材木やトタンを持ち出してバラックを建て、布団や衣類はがれきに埋もれた家から、父子で運び出した。

食器洗いと20リットルのポリタンクを両手に沢水をくみに往復するのが兄弟の担当。「せめて夕食は栄養のあるものを食べさせたい」と、金野さんはがれきから拾った廃材で火をおこし、救援物資の米や食材で自炊している。

父子は亡くなった家族のことは口にしない。「あいつら、悲しみをぐっとのみ込んでいる」。兄弟のそんな姿が父親の胸に染みる。

兄弟はともに野球部の投手。津波でグラブも失った次男は二度と野球はしないと決めた。「やれる状況じゃない」と首を振る次男。兄は「弟は涙も我慢している。一緒に何か仕事をしていないと、家族のことを思い出してしまう。お袋の煮しめが恋しいです」と廃虚の町を見つめた。

3人は「この地で残った家族で暮らしていこう」と決めた。4月1日には、妻、長女とおなかの子、孫がだびに付される。

毎日新聞

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