【東日本大震災】母を失った6年生の女の子 お母さんの分まで生きる…形見の指輪と修了式

友達と再会し、笑顔を見せる美咲さん。

右手薬指で母の形見の指輪が光った

宮城県石巻市立渡波小で2011年3月24日のこと

津波で壊滅的な被害を受けた宮城県石巻市渡波(わたのは)町の市立渡波小(児童数453人)で24日、10年度の修了式が行われた。

安否不明だった母の死が22日に分かったばかりの6年、中野美咲さん(12)は、母の形見となった指輪と紺色のジャケットを身に着けて出席した。

離婚で父の顔を知らずに育っただけに大切な「ママ」だった。「ママに言われたとおり、元気にしようと思う」。再会した友達を前に涙をこらえた。

「どこ行くの? どこ行くの?」。22日昼、避難先の同小から市内の遺体安置所「旧青果花き地方卸売市場」に向かう車内で、美咲さんは祖父邦夫さん(63)、祖母美恵子さん(64)に不安そうに尋ねた。

2人はうつむいたままだった。美咲さんの問いかけに答えるように邦夫さんの携帯電話が鳴った。邦夫さんは相手に伝えた。「んだ。これから娘の遺体さ確認しに行く」

「うそだあ!」。美咲さんの声が震えた。どこかで生きていると信じていた。だが、安置所脇に掲示されたリストに母喜子(よしこ)さん(33)の名前があった。「何で。ママがいる……」。両こぶしで美恵子さんの胸をたたいた。

喜子さんの遺体は検視が終わっておらず、顔には泥がついたまま。「怖かったろう。寒かったろう」。美咲さんは母に語りかけ、突っ伏して泣いた。その間も安置所には新しく見つかった遺体が次々と運び込まれた。

美咲さんは祖父母と喜子さんと4人暮らし。あの日、喜子さんは市中心部で買い物中に地震に遭い、美恵子さんに電話を入れた後、弟夫妻と車で渡波町に向かう途中、津波に襲われた。美咲さんのいた渡波小まで1・5キロの場所だった。

「ママは忙しくしていたけど、いつも優しかった」。

ショッピングセンターに勤める喜子さんは帰宅が深夜になることもあったが、美咲さんは毎晩、一緒に風呂に入る時間を楽しみにしていた。いつも「みっちゃんは大切な子」と言ってくれた。

化粧品を勝手に使い、しかられたりしたが、自宅ではいつも喜子さんにしがみついた。

修了式。美咲さんの右手薬指の指輪が光っていた。再会した友達と笑顔でじゃれあったが、担任の松本三重子教諭の姿を見つけると、胸に顔をうめて涙を流した。「お母さんの分まで強く生きるんだよ」と言われ、無言でうなずいた。

自宅は全壊し、避難生活の見通しも立たない。校庭には車や民家の残骸が散在している。卒業式の日程は未定。入学予定の渡波中も避難所になっていて入学式の予定も分からない。でも、美咲さんには目標がある。

高校を卒業したら、いつか母が勤めていたショッピングセンターで働きたい--。

毎日新聞

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