【東日本大震災】ともに生き残るか、それとも一緒に死ぬか―― 大津波の犠牲になった引きこもり母子「究極の選択」

大津波によって、次男の仁也さん(29歳)とともに、妻のみき子さん(56歳)も一度に失ったのが、当時、岩手県の陸前高田市立広田小学校校長だった佐々木善仁さん(60歳)。

3月末日で定年退職後、市内の図書館長に就くことも決まり、1週間後に最後の卒業式を迎えるはずだった。

そして、大震災が起きたときは、学校で帰りかけていた児童たちの対応に追われていた。

一方、当時学校教員だった長男(30歳)は、自宅にいた。大震災が起きたとき、家の外に出て、子どもたち向けに卒業のお祝いメッセージを録画していたという。

地震が起きたとき、小刻みな揺れがかなり長く続いて、隣の木造家屋の柱がグニャングニャンと曲がって見えた。その家に住んでいるおばあちゃんが、膝をつきながら外に出てきた。

自宅に入ると、タンスが倒れ、冷蔵庫が移動していた。そのうち、大津波警報が出たので、外に出て車のラジオのスイッチを入れ、通帳や父親の卒業式の服などを車に詰め込んだ。

次男(29歳)も2階から降りてきたので、母親が「津波が来るから逃げよう」と声をかけた。しかし、次男は何かを言って、再び2階に上がっていった。

長男は、いつでも逃げられるよう、車のエンジンをかけて待つことにした。しかし、母親が家からなかなか出て来ない。

津波は、予想した以上に大きかった。

自宅は、海岸から2キロほど内陸部にある。しかし、長男が見たときには「拡大コピーしたような」大波が、家々を飲み込みながら、すぐそこまで迫っていた。

「津波だ!逃げろ!」  長男が、そう叫ぶと、母親だけ家から飛び出て、長男めがけて駆け寄ってきた。

「津波が来たら、もう車では逃げられないと思っていたんです。母親はそれまで、家の中にいました。でも、(逃げようとしない次男を)説得していたのかどうかは、私にはわかりません」

飼っていた柴犬の手綱を引っ張り、10mくらい走って、ちょっとした高台に駆け上った。高台に向かう途中、犬は高台とは別の方向に逃げて行った。

振り返ると、波は左右から土煙を舞いながら押し寄せていた。高台から母親に手を差し出して、足を取って引き上げた瞬間、波が母親のすぐ足元を通り過ぎて行った。

その高台に古い家があったので、長男は母親と一緒に窓を開けて、家の中に飛び込んだ。すでに家の住人は逃げた後だった。

しかし、水位がどんどん高くなって、身体が水に浮かんでいく。長男が屋根裏に頭突きすると、木が割れて、屋根の上に首を突っ込んだ。後を追うように母親も頭突きして、屋根に上がることができた。

2人は、ひと息ついて、屋根の上で話をした。長男の目の前で、次男のいる家は、波に飲まれて崩れていった。  「じゃあ、仁也は死んだね」  「竜馬(飼い犬)も死んだね」

そんな話をしながら、2人は家ごと沖のほうへと流されていった。 そのうち、家が水の中に沈んでいく。何かにつかまって、後ろを振り向くと、水が引いた跡に、ベンチが見えた。そこは、沿岸にあるはずの市民球場だった。

長男は母親を引き上げて、ベンチに座らせた。  「次に波が来たら、諦めよう」

ここにいたら、助からないと思っていた。すると、母親はこう長男を励ました。  「せっかくここまで来られたのは、神様によって生かされているんだから、頑張って生きよう」

そう言われた長男は、生きようと思った。周りを見ると、トタン屋根があったので、その上に乗った。母親は「動くな」と言った。

しかし、何かに乗らないと、次に波が来たら、生きられない。そう思って、トタンに乗るとともに第2波が来た。母親はベンチに座ったままだった。

トタンは浮かび上がって流れ始め、流木に視界を遮られた。長男が母親の姿を見たのは、それが最後だった。

トタンが流されていくとき、女性の声が聞こえた。しかし、すでに長男は眼鏡を流失していて、母親かどうかわからなかった。

「何かに乗っているか?」 と呼びかけると、その女性は「乗っていない」という。「とにかく何かに上れ!」と声をかけている間に再び大波が来て、トタンはその場から離れていった。

その後、長男はトタンの上で一晩、沖合を漂流。未明に漂着した砂浜で救出された。

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