【東日本大震災】「逃げて」伝えず悔い 母ら3人捜して

宮城県名取市の閖上(ゆりあげ)地区を襲った津波は、実家にいた両親と祖母、そして生後7カ月の長男までをもさらっていった。

仙台市若林区の会社員、竹沢さおりさん(35)は、うずたかく積もったがれきをかき分け、家族の痕跡を探す。

津波の直前、母から安否を尋ねるメールがきたのに、本社との連絡などに追われ返信できなかった。悔やんでも悔やみきれない。「あの時『逃げて』と伝えていたら……」

中学1年から高校卒業まで閖上で過ごした竹沢さんは、働き始めた仙台市で守雅さん(43)と結婚。昨年7月、待望の長男雅人ちゃんが誕生した。

初孫の誕生を誰よりも喜んでくれたのが、母親の大友すみ子さん(61)だった。共働きの竹沢さん夫婦のために仕事を辞め、ほぼ毎日、雅人ちゃんを預かってくれた。腰が悪いのに、マッサージに通いながら、おんぶしてくれていたという。

竹沢さんは勤務先の衣料品店で地震に遭遇。客の安全確認や本社との連絡に追われるさなか、すみ子さんからメールが届いた。

<雅人大丈夫です さおりは>

安心した竹沢さんは地震対応の仕事に没頭し、返信しなかった。実家の周辺が津波に襲われたことを知ったのは夜になってからだった。すみ子さんに何度メールや電話をしても、つながらない。

ようやく実家を見つけたのは、地震の2日後だった。といっても、確認できたのは基礎部分だけで、周囲の建物もほぼすべて全壊していた。「がれきの砂漠のようで、古里とは信じられなかった」

守雅さんと共に何十もの避難所や遺体安置所を巡り、地震から7日後に父喜佐雄さん(64)の遺体と対面した。

家から2キロ近く押し流され、部屋着のまま見つかったと聞かされた。雅人ちゃんとすみ子さん、祖母ろくさん(92)に関しては、手がかりすらない。

「あのとき、返信していれば」という思いは今も消えない。実家の周囲を何度も掘り返しながら、竹沢さんは言った。

「まだ『ママ』とも『助けて』とも言えない雅人を、母はきっと守ってくれたはず。せめて見つけ出して『ありがとう』と言いたい」

毎日新聞

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