【東日本大震災】ポケットに春の恵み 「姉思い摘んだのでしょう」

■白河市大信 鈴木千代子さん=当時81=

「もう少し長い時間、散歩していたなら、巻き込まれなかったかもしれないのに…」。

東日本大震災による地滑りで犠牲となった白河市大信隈戸の鈴木千代子さんの遺影を見詰め、長女の北野亮子さん(60)はつぶやいた。

昨年3月11日、大きな揺れに亮子さんの心が騒いだ。電話の呼び出し音は鳴るのに、母は受話器を取らない。娘を呼び、近くの実家に向かった。目に飛び込んできたのは巨大な土の塊。裏山が崩れ、家が押し流されたことが分かった。

いくら探しても母がいない。懸命の救助作業を行う消防署員や消防団員。亮子さんは、ぼうぜんと眺めるしかなかった。土の中に眠る母を発見するのに2日間を要した。

千代子さんは夫の寅次さんとの間に四男四女を授かった。裕福ではなかったが、家の中は、いつも子どもたちの笑いでにぎやかだった。寅次さんが50歳で脳梗塞を患う。寝たきりにはならなかったが、仕事ができなくなった。

育ち盛りの子どもを抱えた千代子さんは途方に暮れた。しかし、立ち止まってはいられない。「私が家族を支えてみせる」

土木工事や山での伐採という「男の仕事」に汗を流した。1日が終わって家に帰れば家事や雑用も待っている。疲れて帰ってくる母親に少しでも休んでもらおうと子どもが家事を手伝った。

その後、子どもは家庭を築いた。16人の孫が千代子さんを慕い、正月やお盆には実家に集まった。お酒が好きな千代子さんは、ほんのり赤くなった顔で、孫がはしゃぎ回るのを、にこにこしながら見守っていたという。

震災から1年が経過し、現場はほぼ元通りになった。しかし、遺族の悲しみは消えない。それでも顔を上げ亮子さんは言う。

「つらい事があると、母親を思い起こすんです。『頑張ってできないことない』『かあちゃんだって頑張ったんだ』って自分に言い聞かせるんです」

平成16年、寅次さんが他界。震災前年には同居していた次男が死亡してからは1人暮らしが続いていた。

生前、千代子さん宅には毎日、姉(90)が訪れていたという。その談笑が1人暮らしの千代子さんの、ささやかな楽しみになっていた。姉の好物はフキノトウの天ぷら。

「喜ぶ姉を考え、散歩しながら摘んでいたのでしょう」。亮子さんは、震災の日の母に思いをめぐらせた。

あの日は寒さが落ち着き、春の兆しが見え始めていた。帰らぬ人となった千代子さんのポケットには、ようやく芽を出し始めたフキノトウが入っていた。

福島民報

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