【東日本大震災】行員守らなかった堅牢な建物

その建物は拍子抜けするほど傷んでいなかった。がれきにまみれた周囲の光景と不釣り合いに見える。

宮城県石巻市の成田博美さん(56)は娘の絵美さん=当時(26)=が被災した同県女川町に足を踏み入れた。東日本大震災の発生から3日後だったと記憶する。娘は地銀の女川支店に勤め、同僚と屋上に避難して津波にのまれた。

支店はすくっと立つていた。壁も抜けていない。金庫も無事。さすが金融機関だ。頑丈にできている。何事もなかったかのよう。行員の姿がなかったことを除けば。

遺体安置所に向かう。立て板の前に人垣ができていた。収容された遺体の性別と身体的特徴を知らせる紙が貼ってある。人々は無言で目を走らせていた。

遺体が次々に運ばれてくる。シートに包まれて。

「髪の長い若い女性ではないですか」。その度に夫の正明さん(60)が聞き回っていた。

自宅も被災した。残された家族でアパートを借りる。水も食べ物もガソリンもない。配給の列に並ぶ。着る物がなくて男物のフリースを着ている女性がいる。レジ袋を財布代わりにしている人もいる。生存者も生きるのに必死だった。

被災現場通いの日が続く。遺体は見つからない。わらをもつかむ気持ちで祈祷(きとう)師に聞きに行った。

「こんな姿は見せられないから出てこない、と娘さんは言っています」

そう告げられた。突き放された気がした。

「死にたい。絵美の所に行きたい」

帰り道にむせび泣く。

女川湾から娘の同僚の遺体が揚がった。娘の死を現実のものとして受け入れる心の準備を始めた。

1年後。

娘のお別れ会を開いた。葬儀と呼ぶのは抵抗があった。棺はない。中に入れる亡きがらがない。

屋上避難は支店長の指示だったと聞く。近くに別の地銀と信用金庫があった。そこは行員が高台に逃げ、全員事なきを得ている。

「なぜ屋上だったのでしょうか」。喪主あいさつに立った正明さんの視線は参列者の中にいた頭取の顔を射抜いていた。

支店の堅牢(けんろう)な造りは金庫を救った。行員は守らなかった。

成田さんは娘の遺体を捜しているとき、はさみを携えていた。見つかったら髪を切って手元に残すために。

はさみの出番は恐らくもうない。

産経新聞

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