【東日本大震災】弁当流し、潜水捜索…娘とのつながり求めて

寒風が頬を刺す。波がうねっている。

1月中旬の東北地方は一番の寒気が降りていた。

宮城県石巻市の看護職、成田博美さん(56)は女川港(同県女川町)の岸壁にいた。

弁当を手にしている。ハンバーグ。おにぎり。イチゴ。どれも娘の好物だ。

人目のないのを見定め、静かに海に流した。

東日本大震災で一人娘の絵美さんを亡くした。26歳。結婚4カ月だった。地銀の女川支店に勤め、職場で被災した。遺体は見つかっていない。海をさまよい続けている。

弁当流しは週1回欠かさず行う。始めて何年になるだろう。震災から流れる年月の分、回を重ねる。この営みで娘とのつながりを確かめる。

弁当の器はでんぷんでできている。以前はパックに入れていた。いつものように流していたら、年配の人に「海を汚すな」と怒られた。それで水に溶ける材質に変えた。

弁当を流したらその場でごみ拾いをする。それで帳尻を合わせる。

行員の献花台に寄る。支店跡が見下ろせる。更地だ。行員は屋上に逃げた。倍の高さの津波が襲い、12人が犠牲になった。

娘は怖がりだった。ちょっとでも揺れようものなら2階の自分の部屋から大騒ぎで階段を下りてきた。

そんな娘がどんな思いで自分に迫り来る大津波を見ていたのだろう。ただ死んだのではない。地獄を味わってから絶命したのだ。

献花台に男女行員の石像が立つ。雨が降ると目の下のくぼみに水がたまり、泣いているように見える。

「寒かったでしょ」

頭をなでる。

手をさする。

震災6年。復興工事が加速する。宅地のかさ上げ。道路の拡幅。来る度に景色が変わる。カーナビの地図の更新が追い付かない。

七回忌に当たる。悲しみは変わらない。自分だけ置いてけぼりを食らった。

車で竹浦港に向かう。女川港の北にある。

ダイバーの一行がボートを出そうとしていた。ファンダイブを楽しむ。

その中に1人、目的の違う人が交じっていた。夫の正明さん(60)だ。

娘の遺体を捜すために潜水士の資格を取った。愛好家グループの調達した一隻に便乗させてもらう。

海中で魚と戯れる愛好家の輪から離れ、海の底に目をこらす。これまで200本近く潜った。収穫はまだない。

「寒波が来ているから今回はやめたら」

前の晩、当日の準備で潜水服の手入れをする夫に自制を促した。

「休むと勘が鈍るから」

夫は手を止めなかった。

夫も潜水でしか娘との結び付きを感じ取れないでいる。

ボートが岸を離れた。見えなくなるまで見送る。

2月最後の日曜日。

岸壁にたたずむいつもの姿があった。

桃の節句が近い。海にひなあられをまく。

餌と勘違いしたカモメが群がっていた。

震災で子に先立たれた親の失意は時がたっても癒えない。子をのみ込んだ海に涙を落とす。

産経新聞

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