【東日本大震災】「守れなかった」自分を恨み 消えぬ後悔「生き地獄」 子供3人が犠牲に

「父ちゃんなのに守ってやれなかった。生きていてもしようがない」

津波の犠牲となった遠藤花さん=当時(13)=、侃太(かんた)君=当時(10)、奏(かな)ちゃん=当時(8)=きょうだいの父、伸一さん(48)は宮城県石巻市の渡波地区出身の木工職人だ。震災のあった日は市内の漁港で改修工事をしていた。仕事が終わり現場を去った直後、大地震に遭った。

帰宅しているはずの花さんが心配で、急ぎ自宅へ向かった。自宅横の別宅に伸一さんの母と一緒にいた花さんを確認すると、伸一さんはそこから侃太君と奏ちゃんがいた市立渡波小へ歩いて向かい、2人を花さんのいる母の家に連れ帰った。築30年超の母屋より、新しい別宅が安全と考えた。3人の子供を母に預けた後、連絡が取れなくなった親戚の様子を見にトラックで別宅を後にした。

伸一さんは女川街道(国道398号)を西進中に津波に襲われた。トラックから飛び出し、流れてきた家屋につかまったまま濁流にのみ込まれた。掛けていた眼鏡はなくなり、周囲がはっきり見えなくなった。

がれきに押され、近くのコンビニの建物にぶつかって止まった。身動きが取れない中、海水は顔まで迫っていた。何時間たっただろう。水が引き始めると同時にがれきの重みが身体にのしかかった。身をよじりながら抜けだした。

歩いているとたき火が見えた。自宅近くの渡波保育所だった。数人が避難していたが、「皆震えて無口だった」。子供たちを預けた別宅へ向かおうとするが、がれきの山と暗闇で一歩も動けない。後に分かったが、このとき右足首を骨折していた。くぎを踏み抜いて両足も血だらけだった。

「誰かいませんかー」

翌朝、がれきの棒をつえ代わりにして子供たちを捜し歩いた。しばらくすると母の泣き声が聞こえた。

「奏ちゃん冷たいんだ、冷たいんだ…」。その腕には冷たくなった孫が抱かれていた。

「子供たちを家に戻さなければ、生きていたのに…何やってるんだ」。自分を恨んだ。別宅は土台ごと流されていた。同じ日に、花さんも別宅のがれきの中から見つかった。8人がかりで保育所へ運び入れた。

伸一さんは花さんと奏ちゃんのそばに毎日寄り添った。涙が止まらなかった。「何で守ってやれなかったのか。生き地獄だった」と振り返る。

それでも、「侃太が見つかるまではくたばるわけにはいかない」と気力を振り絞った。複数の遺体安置所を回った。遺体の顔を覆う布を一枚一枚まくり、知らない人の死に顔もたくさん見た。1週間後、自衛隊員が自宅近くで侃太君を発見した。自分の人生などどうでもよいと絶望した。

震災から1カ月半ほど、避難所に身を寄せた。「忙しくさせておかないとよからぬことを考えるだろう」。保育所に避難した人たちは伸一さんを気遣い、避難所運営のリーダー役を任せた。がれきから拾い集めた建材で風呂釜を作り、避難者同士で分け合う食料を捜し歩いた。

ある日、市役所から知らせがあった。「仮土葬が決まりました」。避難所を出て東松島市のみなし仮設住宅に夫妻そろって移った後には「火葬の日程が決まりました」と連絡があった。だが、どんなにせわしなく過ごしても、悲しみや無念さは薄れなかった。

妻の綾子さん(48)が伸一さんに対し「子供たちといながら、なぜ助けられなかったのか」と思っていたことにも気付いていた。「俺を恨まなきゃ生きていけなかっただろう…」と妻を思いやる伸一さんだが、震災直後は一緒にいることすらつらかった。日付が変わるまで工房で仕事をし、妻が眠るころに帰宅する日々をすごした。

産経新聞

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