【東日本大震災】「なぜ助けてくれなかったの」 津波に奪われた命…夫婦に亀裂 子供3人が犠牲に

東日本大震災の発生から11日で6年となる。震災で最も多くの犠牲者を出した石巻市に暮らす遠藤さん一家は、津波で3人の子供すべてを亡くした。子に先立たれた父と母が生きてきた6年を追った。

「花ちゃんと奏(かな)ちゃんは助からなかった。侃太(かんた)君はまだ見つかっていない」

× × ×

宮城県石巻市渡波地区の遠藤綾子(りょうこ)さん(48)。JR石巻駅から数キロ離れた市内の病院に勤めながら、中1の長女、花さん=当時(13)=、小4の長男、侃太君=当時(10)=、小2の次女、奏ちゃん=当時(8)=を育てていた。

あの日、勤務先で激しい揺れに見舞われた。ロッカーに置いていた携帯電話を確認すると侃太君と奏ちゃんが通う市立渡波小から一斉メールが届いていた。

「侃太と奏は学校にいるなら大丈夫」「中学は午前中だけだから、花は家にいるはず」

急いで自宅へ戻ろうとしたが、市役所の本庁舎にたどり着くのがやっとだった。交通機関はまひし、駅前一帯は冠水していた。身動きが取れず、庁舎内で二晩を過ごした。自家発電でテレビを見ることはできたが、自宅周辺の様子についての情報はまったくなかった。自宅へ向かおうとすると、市役所の渡波支所から本庁舎へ戻ってきたという人に声をかけられた。

「希望を捨てないで」

「皆、変な顔でこちらを見ているんです」

3日目の夕方、綾子さんは庁舎から10キロ弱離れた渡波小の体育館に到着し、侃太君と奏ちゃんを捜した。遠藤さん親子を知る避難者たちは、綾子さんの姿を捉えても、誰一人として声をかけようとしなかった。

しばらくすると、綾子さんの遠縁に当たる女性が歩み寄り、現実を告げた。

「何を言っているのか分からなかった…」

娘2人が安置されているという自宅近くの渡波保育所へ、がれきをかき分けて歩いた。

保育所には近隣住民が数人避難していた。夫の伸一さん(48)と合流したのもつかの間、横たわる花さんと奏ちゃんが目に飛び込んできた。2人の変わり果てた姿に、ただ泣き崩れた。

「そのときの感情を覚えていない」。現実を受け入れられず、眠れない日々が続いた。口にしたカップ麺は紙のような味にしか感じられなかった。

「子供たちと一緒に死んでいればよかった」

それから毎日、侃太君を捜して保育所と自宅跡地を往復し、がれきの山を歩き回った。1週間後、自宅のあった場所の近くで侃太君も見つかった。侃太君は左脇に年賀状を挟んでいた。自衛隊員が発見し、あて名を頼りに綾子さんの元にたどり着いた。

津波が奪った子供たち全員の命。その後、左耳が聞こえなくなった。震災発生から約2カ月後、「突発性難聴」と診断された。

震災当日、市立渡波中1年生だった花さんは卒業式のため午前中だけ登校し、地震の直前は自宅横の別宅で伸一さんの母親と2人で一緒にいた。渡波小に通う侃太君と奏ちゃんは地震発生直後、学校で待機していた。

学校には保護者が次々とわが子を引き取りに訪れた。市内で仕事中だった伸一さんも侃太君と奏ちゃんを迎えに行き、2人を母と花さんの元へ送り届けた。

伸一さんはその足で連絡の取れなくなった親戚の様子を見るために家を離れた。程なくして巨大津波が襲来した。3人の子供たちと母が身を寄せていた家は、家屋の土台ごと押し流された。

「なぜ助けてくれなかったの…」。最愛の子供たちを失った綾子さんの悔しさや悲しみは、強い感情となって伸一さんに向かった。

「このまま夫婦でいられるのか」

産経新聞

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