【東日本大震災】「心配しなくていいよ」 弟と妹、閖上の海に眠る兄へ 元名取市議・沼田喜一郎さん

東日本大震災の津波で壊滅的な被害を受けた名取市閖上地区。元市議の沼田喜一郎さん(当時62歳)は近くの住民に避難を呼びかけた後、自宅に戻る途中で津波にのまれた。あれから6年がたつが、今も見つかっていない。弟の次夫さん(65)と妹の加茂富枝さん(61)は「責任感の強かった兄を誇りに思う。閖上の海が好きだったから、海で眠っているのかな」と思う。

2011年3月11日、加茂さんは地震発生の10分前に名取市役所で沼田さんと別れた。「閖上に行く」。それが加茂さんと交わした最後の言葉となった。

住民らによると、沼田さんは自宅に戻った後、避難を呼びかけたり、安否を確認したりするため、付近一帯を自転車で駆け回っていたという。一緒にいた当時町内会役員の遠藤一雄さん(70)は津波襲来の直前、こう声を掛けた。「おめえも早く逃げろ」。しかし、沼田さんは「母ちゃんたちがいるかもしんねえ」と言い残し、自宅の方角に向かったという。「あの時、車に乗せて一緒に逃げていれば助かったのに」。遠藤さんはあの時のことを、今も後悔しているという。

沼田さんの母、妻、長男も、避難先の閖上公民館などで津波の犠牲となった。高校3年だった次男は流れてきたタイヤにしがみつき、民家2階に逃げ込んで助かった。震災2日後、次夫さんと加茂さんは、自衛隊員と一緒にいた次男の姿を見つけ、泣きながら強く抱きしめた。

父善治郎さんが45歳で他界したため、長男の沼田さんが2人の父親代わりだった。高校卒業後に百貨店に就職し、2人の学費を稼いだ。着物販売業を開業した沼田さんは04年、同市議選に出馬した。次夫さんは「人を集めてワイワイ話し合うのが好きな人だった。人のお世話をするのも好きだったから、政治家に向いていた」と振り返る。当選後は、地域のまとめ役として汗を流した。

加茂さんは、生まれたばかりの子どもを実家に連れて帰ったある晩のことを、今でもよく覚えている。沼田さんは、子どもの寝室に入ったきり、約30分戻ってこなかった。加茂さんが寝室をそっとのぞくと、酒を飲みながら飽きずにその寝顔を見ていた。「血のつながった子が、こんなに可愛いとは思わなかった」。あやすのは下手だったが、一生懸命可愛がってくれた。沼田さんは40歳の時に結婚し、2人の子どもに恵まれた。

次夫さんは震災後、沼田さんの次男の成年後見人になり、成長を見守ってきた。次男はふさぎ込んだ時期もあったが、大学を卒業して就職、結婚もした。「最近やっと笑顔を見せるようになった。頑張ってるから、兄貴は心配しなくていいよ」
毎日新聞

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