娘よ、また花咲かせるよ 津波で家族犠牲の男性 学生と交流通じ、自宅再建決意 岩手・陸前高田

東日本大震災で市街地が津波にのまれた岩手県陸前高田市で、大学1年の長女安里奈(ありな)さん(当時19歳)ら家族3人を失った元市職員の佐藤新三郎さん(64)は、ボランティアの大学生らとともに、がれきと化した街に花畑を広げる活動に取り組んできた。

同年代の学生を見て胸が詰まったこともあった。だが、彼らとの交流が深まるにつれ、娘とすごした思い出の場所で生きていこうと決めた。

2016年2月、陸前高田市コミュニティーホール内の集会室。佐藤さんは、ボランティア活動を通じて知り合った大学生たちと畳に座り、談笑していた。「就職が決まりました」。隣の女子学生から告げられた。直後に周囲から促されてあいさつしようとした時だった。

「俺の娘な……」。長女を失ったことを学生に明かし、後は涙で言葉にならなかった。心のうちを、初めて見せた気がした。

自宅があった中心市街地の高田地区では今も、かさ上げ工事のダンプが行き交う。市が宅地の造成を進めるが先が見えず住宅再建をあきらめる人もいる。それでも、佐藤さんはここに自宅を再建しようと決めた。4年前まで市職員だった責任感もあるが、家族で熱中した地元の七夕祭りなどを通じ地域を盛り上げたいと思うからだ。

11年春。「休みはこっちでアルバイトすっか」。佐藤さんは、桜美林大(東京都町田市)1年生だった安里奈さんに電話で帰省を勧めた。成長していく娘と、同じ時間を過ごしたかった。

だが3月11日、津波は市役所まで押し寄せ、佐藤さんは屋上に避難し助かったが、自宅は約200メートル流された。長女は母ミチ子さん(当時87歳)と妻規子さん(同56歳)とともに大破した家の中で遺体で見つかった。

復興業務に追われ、眠れない日が続いた。休日には日暮れまで4~5時間、自宅があった辺りをひたすら歩いた。コンクリートの塊ばかりが目に付いた。

12年の春。自宅跡周辺で、小さな花壇ができていることに気付いた。住民だった女性たちが犠牲者を悼むために設けたものだった。「もっとたくさんの花を咲かせよう」。同年4月に「陸前高田花菜畑(はなばたけ)の会」をつくった。

各地からボランティアも参加し、12年夏には能登半島地震(07年3月)で被災地支援に携わった北陸学院大(金沢市)の教員が学生を連れて来た。だが、佐藤さんは学生を前に「何で同じような年ごろの娘を連れて来るんだ」とも心でつぶやいた。

学生たちは季節が変わるたびに訪れた。「ただいま」。そうあいさつする学生に、草花の名前や手入れの方法を教えた。大学で取り組んでいること、将来の夢……娘と話すような穏やかな時間。高田地区の花壇は約3000平方メートルにまで広がった。大規模なかさ上げ工事で14年12月に花壇は撤去されたが、毎年春になると学生たちが「同窓会」として訪れ、交流は続いた。

七回忌を前にした9日。岩手・花巻の旅館で、3回目の同窓会が開かれた。「再会を祝して、乾杯」。昨年と違って、佐藤さんの声は明るかった。

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