仏(故人)の顔は往々にして穏やかだ。
「穏やかな顔をしているわね。」
「まるで眠っているみたい。」
「苦しまずに逝ったのかな。」
今にも起き上がりそうな穏やかな死に顔を前に、残された者たちが口々につぶやく。
葬儀式場では、大抵この手の会話が繰り広げられる。残された者にとって、故人が苦しまずに逝ってくれることは、せめてもの救いだ。
最近では目覚しい医療の発達により、死にゆく人間の痛みを緩和させてあげることが可能となった。
この為、多くの患者は穏やかな最期を迎えることが出来るのだろう。
だが、実のところ死者の顔が穏やかなのは、「神仏の慈悲」によるところが大きい。
人は死ぬと当然ながら、神経や筋肉など全身の細胞もことごとく死滅する。
そうすると、時が経つにつれ皮膚は下に引っ張られ、殆どが眠っているかの様な、自然な顔に戻る。
大切な人を奪ってしまったことへの神仏からのせめてもの慈悲が、我々残された人間の心に一筋の希望の光をもたらすのだ。
高齢の場合は目や口が開いてしまったり、眼球が落ちて凹んだり、入れ歯がなくて頬がこけたりして、若干恐ろしい形相になってしまう場合もあるが、通常の葬儀屋であれば、目や口を閉じさせたりして、それなりの手直しはしてくれる。
万が一「ちょっと・・・」と思うような状態であれば、「送り人」で一躍有名になった納棺師を頼めば良い。
ヒゲを剃り、入れ歯を外してこけた口に綿を詰め、落ちてしまった眼球を戻し、遺体専用の化粧道具(遺体は油分や水分が無い為、特殊な化粧道具を使う)を使って、文字通り「眠っている様」にしてくれる。
湯灌(ゆかん)などはせず、顔の手直しだけなら、それ程お金はかからないはずだ。
先述のように「神仏の慈悲」が注がれ、そこに葬儀屋や納棺師の多少の加勢が加わって、大抵の故人は穏やかな顔に戻る。
「穏やかな顔・・・」
(死の床つくデル・カスティリョ夫人)
そう安堵するご遺族を前にすると、
「仏様が迎えに来てくれたことへの安心感と、この世での一生に対する満足感、自分を支えてくれた周りへの感謝の念が、このようなお顔の表情となって表れたのでしょう。何れにせよあの世へ向かった故人様のお顔が曇らないよう、残された皆様は一日も早く、前を向いて元気に生きていかねばなりませんよ。」
私は優しくそう諭すことにしている。
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